散歩ついでに入院

 入院してきました。 初体験です。 




  • なんで私が病院に行ったか/どこが痛かったか

事の始まりは月曜日。 バス停で、陽気にバスを待っている私は自分の膝から下が骸骨ロック並みに震えている事に気がついた。 「なんじゃこりゃ!」と思いつつも、震えは止まらない。 座ると止まる。 立つと震える。 一時間ぐらいたったら、やんでいたので、「無かった事にしよう」と決心し、ころっと忘れました。


次の日、火曜日。 朝方「なんだか足が異常に痛いぞ」と思いながらも眠っておりました。(私は考えながら寝る事が出来ます) で、はっきりと目が覚めた時に「痛いじゃねえか!」と結構びっくり。 足のシシャモの部分、名前なんていうんだろう、もも? すね? すねって、膝の下の体の表の部分だよね、そこの裏の筋肉。 そこが両足とも痛くていたくてたまらないのです。 レベルはフルマラソン後の筋肉痛。 おっかしーなあ、と思いながらも、大学の友達と遊びに行き、夜は高校の時の友達の家にご飯を食べにいき、結構普通に生活してみました。 


寝たらなおっていたという設定が一番良いぞ、頑張れ私の筋肉と、無理な期待を込めながら睡眠をとり、目覚める事水曜日。 しかし、まだまだ十分痛い。 「これはGPに行った方が良いのかしら」と一応、バスに乗り、痛みをこらえながらとことこ歩き、通院。 こっちの病院のシステムは日本と違う。 General Practitionerと呼ばれる、何でも見てくれる街のお医者さんたちの集合所みたいな場所に行って、そこの先生が専門医に行くべきか否かを判断する。 そして特別なケアが必要だと思ったときに、Hospital紹介状がかかれて、行く事になる。 そういう妙なシステムなんです。 だから今まで一回もHospitalに行ったことが無い子も結構ごろごろいる。 江戸時代の檀家制度みたいな感じで、新しい街に引っ越しする度に、新しいGPに自分を登録し、自分の担当医になってもらうようだ。 私は結構健康体なので、今まで住んできたどの地域でも、GPに一回以上行ったことが無いからその担当医感は味わった事が無いんだけど。 なおかつ奇妙な事に、GPには予約をいれておかないといけない。私はそれをいつも忘れて、言ったは良いけど結局二日後の予約をとりつけただけとかって事になる。 こっちの人は自分がいつ病気になるかが分かるという凄い能力をお持ちのようだ。 私には二日後の健康なんて分からない。 分かってたら、病気にはならない気もする…。 ここらへんのシステムが良くわからない。 GPの集合所に、先生達が数人いて、一人にかかる診察時間は十分ぐらいで、どうして二日後まで予約がぱんぱんになるのかもわからない。 だって、結構多くの小さな集落にも数人はGPがいるんだよ?! みんなそんなに体調不良なのか? 今回も飛び込んだはいいけれども、予約は二日後までぱんぱんと言われて、「いや、今見てもらわないと困る!」とだだをこね、四時間後の看護婦に見てもらう権を手に入れた。 そして、図書館でヴァレンティアフェアとかヴォーグとかを読みながら、ちょっと気分よく、四時間過ごし、またGPの元へ。 看護婦は私の足を触った途端にその冷たさに異常を感じ、先生を引っ張ってきてくれた。 だだこねてよかったと思いつつ、先生に診察してもらうと、こんな症状はおかしい! これは神経がやられているわ! なおかつ、あなたの足には脈がないと慌てふためき、今から救急車呼ぶから、Hospital行きよと宣言された。  そして笑える事に、救急車よりタクシーの方は早いから、救急車案はドロップされて、タクシーにのって、病院に行く事になった。 タクシー、無敵な交通機関なんだね。 



病院の緊急外来に行って、また待つ事数時間。 こっちでも先生達が「この人、足に脈が無い!」とびっくりする。 結局四人の先生が私の脈を探しにきた。 なおかつ血液検査の為に腕から血をとろうとしても、上手くとれなくて、四人先生が変わって、六回さされた。 最初は私の友達のクラスメイトである医学部四年生の子で、次は六年生、次はインターン生と、どんどんけつ血液採取者の年がとっていき、最終的にはおばあちゃんっぽい看護婦さんが意地をみせてくれた。 やっぱ経験なんだなあ。 私の血管は、少しの衝撃でも奥に引っ込んじゃう変なので、見えている血管でも、針を体に刺すとその瞬間に見えなくなっちゃったりとか、そういう「逃げ」の姿勢が非常に強い凄いのなんですよ。 日本でもすんなりと血をとってもらったことはなく、大抵凄いところからとる事になる。 今回は左手の親指の付け根から抜かれた。 痛かった。 注射器じゃなくて、プラスティックチューブを血管に入れて、「いつでも血が出せる、マルチ水道」みたいなのを作り、そこからとりたい時にいつでもとるみたいな状況を彼らは作りたかったんだけど、腕にその水道の蛇口みたいなのを指しても、血は出てこない。 腕にチューブがささっていているのに、血が出てこない状況って見ていて、シュールだよ。 人間じゃないみたいな気分になる。 とにかく、とんでもなく痛い思いをして血をとられて、なおかつ足りなかったと追加にまでこられて、既にその時は十二時を過ぎていた。 緊急治療室のエリアにいたから、周りが凄い! なんか泣きわめいている人ばっかりで、私は非常な地味な病状だからほっとかれる。 ちょっと孤独かもと思い始めた時に、「血液検査の結果が微妙だから、明日足のスキャンするから、今日はおとまりね」と宣言されて、なんだか悲しくなってしまい、涙が出た。 で、日本に電話して「足が痛いから入院」と明らかに親を混乱させる発言をし、(なおかつ泣きながら。ご両親パニック。)次に高校の時の友達の家に電話し「寂しいし、今日一回もご飯食べてないし、怖いし、死んじゃうかもしれないし、惨めだし、孤独だ!」とおいおい泣いて同情を引く。 そして、夜中の一時過ぎに緊急病棟にご飯をもってこさせた。(夜中だからヘルシーな物じゃなきゃ食べないと宣言していたので、ホーマスたっぷりのサンドイッチだったよ。) そしてやっと普通の入院患者の病棟にうつって、そこの家族室で、私と友達とで、お菓子とか食べながら朝の四時ぐらいまでだらだら過ごす。 「起きた時にそばにいてほしいから、昼過ぎまでには戻ってきてね」という私の「?!」っていうレベルの我侭にもつきあってくれて、私が起きるより前に病院に戻ってきてくれた友人に感謝。 そして超音波検査とかにもつきあってもらって、今日は寂しくなかった。 で、なんか結局今日も五時過ぎまで病院にいたんだけど、原因分からないから、帰って良いよって事でかえってきたんです。 昨日の夜はいかにも血液検査がおかしいみたいな雰囲気だったのに、今日は「全ての検査結果がノーマル」と堂々と言われた。 まるで「俺たちはおかしくない、おかしいのはお前の足だけだ」って態度だ。 その通りだ。 だからここにいるんだ、ごらぁと暴れたくなる。 

なにかがおかしいぞぉ!! 

「病状とは多分関係ないけど、君は足に脈がないし、腕の血管もなんかおかしいし、両足しびれきっていて、歩きにくいみたいだけど、でもそれ意外は普通だから。 そこが痛いべきである理由もないし、そろそろ痛いのやめたら?」って事なんだろう。 そういわれると、私の足が痛い事の方が、おかしい気がしてきて、「痛いはずがないから、元気出せ自分」って流れになるよ。 薬局で買える普通の痛み止めを処方していただき、帰宅です。 うーん…。 痛み止めを手に入れる為に24時間以上ついやしてしまった…。 何がおこってるんだ、私の足に…。 でもって、私はニュージーランド原住民じゃなくて、うるわしの日本からの放浪者だから、とんでもない値段を請求されるはずだった。 昨日入院する前に金額を聞いた時は目ん玉が$の形になって、「チーンッ」って音とともに飛び出した。 だから戦々恐々となっていたんだけど、帰りはどさくさ(?)で一円も請求されなかった。 どういう事なんでしょうか…。 


それにしても病院はちょっと楽しかった。 夜中は緊急病棟の雰囲気に流されて、ちょっとめそめそ泣いてしまったが、(あと、単純に腕が痛かった! 六個血液用の蛇口作られたんだよ!! しかもその日は水一杯しかのんでいなかったし)機能としての病院は学び甲斐がありました。 ホスピタリティーとかケアとかの殿堂だから、「思いやり」とかを考えるには最も適した場所かも知れません。


  • 入院中に読んだ本

面白かった! 病院で読んだから、なんかすっごいよかった! 病院は、あるものあるもの全てがインダストリアルデザインの領域なので、非常にためになります。 スッゲー興味深かった。

行動主義―レム・コールハースドキュメント

行動主義―レム・コールハースドキュメント

デザインの輪郭

デザインの輪郭

苔のむすまで

苔のむすまで



とりあえず、日本の友達は今回私がこっちで病気してよかったと思っていると思います。 じゃないと、「目が覚めた時に横にバナナ持っていてほしいの」ってのをやらなきゃいけなかったりするものね。






これが入院先の朝食。 入院患者全員分のトーストは一体どのように焼くのでしょうか? 
どでかいオーブンとかでばーんっと一気に焼くのかな。 じゃないと大変だよね?




迷子札。 あと水道の跡地三カ所。 見つけられますかね?
消毒液が真っ黄色で、血管が真っ青で、水道跡地がクリムソンで、なんだか奇麗だと思った。

ちょっと考えている事

  • お部屋大改造

お部屋大改造をしたいんですけど、資材をどうやって家に運んだら良いのかが悩みどころ。 
バンを持っている友達は実家に帰っちゃったし、うーん…。 どないしたものか。




  • 言葉の力

私はあんまり言葉に対して、繊細じゃないし、センスがない。
しかもちょっとたちが悪い事にそれが照れ隠しとか、
そういうなんだか不器用な感じから派生しているんです。
ぶっきらぼうな性格が災いしていると思うんだ。
だから自分の書いた文章とかを後から読み返すと、なんだかなあという気分になる。
照れ隠しの変ないがいがみたいなのが、自分で読んでて恥ずかしくなるんだよね。
照れてないで、素直に書いて、なおかつ進歩しようとする心使いが必要なのではないかと思い始めました。


なんで言葉の事を考えるようになったかと言うと、友達がブログを始めだしたという事が大きい。
友達の書いた文章なんてブログ登場以前はほとんど読んだ事がなかった。
だから今考えたら、とても大きな一面を全く見ずして過ごしていたのよね。
で、急に敬愛している友人たちがブログを始めて、彼らの文章を読んで、
その新鮮さに本当に驚いたんです。 彼らを好きな理由とかをとても強く思い出した。
そして出来る事なら私もそういう文章を書けるようになりたいと思ったのですよ。

せめて、距離の離れたところに住んでいる友人たちが、
さらっと読んでさらっと消化できて、
なおかつちょっぴりもっと私の事を好きになってくれるような文章が書けたら、
そんなにナイスな事ってないでしょう。 
もっと、言葉に敏感になって、遠くにいる愛すべき人達に
私の思っている事をできるだけダイレクトに伝えられたら良いなと思います。


友人たちの書く文章が"素敵"で驚いたんです。 
ポジティブに何かを素敵だと思える経験はとても貴重。
(もっともっと増やしたいわ。)




  • 写真


写真はあんまり好きじゃないんだけど、
でもやっぱりブログには写真がのっているべきだわと思います。
写真がのってないとちょっと損した気分になる。
自分がどんな写真がとりたいのか、のせたいのか、考えるのってとても良いエクササイズだと思う。


何かを作っている時に、自分の視点の癖とかにげんなりする事が多々ある。
「もっと違う角度で見たいのに、どうしていつも私はこのアングルからしか物が見えないのだ!」と思わず、
ちゃぶだいをひっくり返したくなる瞬間ってありますよね。
「こんなラインじゃない!」とか「こんな色じゃない!」とかさ。 
そんな時にカメラって凄く役に立つ。 単純に自分で色々なアングルから写真におさめるのも手だし、
友達に自分の作っている物の写真を取ってもらうのも良い。 
口でとやかく言われるより、相手に数枚写真を取ってもらって、
その写真を見ながらアドバイスしてもらう方が、ずっと理解しやすい。
「こんな見方があったのか」っていうのを非常に具体的に感じる事が出来ます。
そういう意味でデジカメって本当に便利だ。





  • ノートと文字

最近、自分ってものすごく物忘れをする人なんだと気がついた。
朝起きた瞬間とかに色鮮やかなヴィジョンとかがあって、
是非これは友人に伝えたいと思う事とかがある。
なのにけろっと友人にあった時にその色は消え去ってしまっていて、
なんとなーく「なんか言いたい事があったよな、確か」ってぐらいにしか残ってなかったりする。
とても残念だ。 もしかしたら「今日の女」になれていたかもしれないのに。
物を作り始めてからそれをとても強く実感する。 
もしかしたら、この物は私がきちんと考えを記憶できていたらもっと美しくなったかもしれないのにと思うと
悔しくて、悔しくて…。 化け猫になっちゃいそう。
"write it down"っていうステッカーを友人が持っていて、
それを私に見せて「すっごいよね、この言葉」って言ってきた事がある。
そのときは「まあ、凄いね」程度に考えていたんだけど、今思うと、確かに凄い言葉。

write it down. 

やまびこで「そのとーりー」って返事が聞こえてくるような気がするわ。

いつもノートを携帯したい。 そして、キチンとした文字を書きたい。
私は実は文字を書くのをとてもためらう。 なぜなら、スペルが思い出せないから。 漢字が思い出せないから。
字が下手だから。 文字を書き始めた瞬間から凄い世界が広がっちゃうから。 
そういう「これは違う次元に繋がってっちゃうわ」って事が私を怖がらせる。
いやいやいや、だからこそやろうよって話しなんだけどね。 
これからは、きちんと書こうと思います。 漢字、覚えます。 スペル、覚えます。
ライン、きちんと考えます。 タイポを、フォントを、自分の字面を、ラインとして考えて、
そこでハーモニアスな世界を探すってのは、おつな事だと思いますわ。
今までは「できたら良いな」と思って憧れていた事が、
今は「できなきゃ、そこをスタート地点にしなきゃ」っていうふうに変わってきている。
例えば、きちんとしたノートを作るとかさ。
幸せな事だと思う。




  • 最近読んだ本


Alvar Aalto (Taschen Basic Architecture)

Alvar Aalto (Taschen Basic Architecture)

De Young In The 21st Century: A Museum by Herzog & De Meuron

De Young In The 21st Century: A Museum by Herzog & De Meuron

Alvar Aalto

Alvar Aalto

Architecture: Art

Architecture: Art

Sugimoto: Conceptual Forms

Sugimoto: Conceptual Forms

Hiroshi Sugimoto

Hiroshi Sugimoto

Comme des Garcons (Fashion Memoir)

Comme des Garcons (Fashion Memoir)

Objects of Design: The Museum of Modern Art

Objects of Design: The Museum of Modern Art

Honey Is Flowing in All Directions

Honey Is Flowing in All Directions

Villa Mairea Aid (Architecture in Detail)

Villa Mairea Aid (Architecture in Detail)


読んだっていっても、全然きちんと読み込んではいないんだけど、
最近はこんなのに目を通しています。

アアルトの本が多い理由は、前学期の授業の一つで私は彼に関してリサーチをしてプレゼンと論文を書かなきゃいけなかったんです。
アアルト、凄い。 惚れました。

ハーブとガーリックがたっぷり入っているクリームチーズをキノコに乗

金曜の夜から、土曜の夜までずっと打ち上げをやっていました。
結構楽しかったけど、打ち上げとかの楽しさってやっぱり一抹の不安がよぎりますよ。
それがスパイスなのかもしれないけど、素直に喜んじゃいけない気がしちゃったりとか、
そこまでアホになっちゃいけないような気がしちゃったりするんだよね。
課題提出直前の時の呑みとかだと、完璧に馬鹿になれるのに、何故?
やっぱり、将来とか未来とかを感じちゃうと人は馬鹿の反対になるのかしら。



金曜の夜は、クラスの端っこの変な人連盟で打ち上げと称して日本食を食べた。 
私、アイスランド人、ポーランド人という組み合わせで、三人の共通点は「ムーミン大好き」。
前の学期中に、私とアイスランドの子で、「ムーミンは永遠だよ」って話しをしている時に、
横に座っていたポ人の子が「ムミンキ!!」と叫んだ事からこのムーミン連盟は始まりました。
どうやらポーランドではムーミンはムミンキらしく、なおかつ大好きだったらしい。

平均年齢23歳の渋い三人組が焼き鳥をかじりながら、
「やっぱ、パパだよ。 俺絶対、パパムミンキ(ポ人的発音)」と言葉を垂れ流しつつ夜の帳は開いたり閉じたり。
「この間e-bay見てたら、やばいの、ムミンキのバッグ売ってた。 今落札中」とか、三人の間でのムーミン人気はヤバい。 
特にニュージーランドではムミンキはあんまり有名じゃなくて、
幼少期にこっちに引っ越してきたポ人の子はムミンキ仲間に飢えていたらしく、
今はその反動で夜中に一人ひっそりとネットオークションに手を出しているようだ。 ムミンキばんざーい!

ちなみに、あたし、ミー。 絶対に、ミー。 譲れない。 アイスランド人がムーミンで、ポ人がパパムミンキ。
今度パーティーするんだ。 三人で。 


私はミーに似ている気がするの。 
そして

鼻兎(1) (アッパーズKCDX)

鼻兎(1) (アッパーズKCDX)

鼻兎氏にも似ているらしい…。 

楽しいムーミン一家@インダストリアルデザイン。


で、土曜日の打ち上げは友達の家でやった。 
それはみんなが凄い酔っぱらっていて、手がつけられなかった。
酔っぱらいは嫌いだ…。
そして大雨の中、バーベキューとかをしてみましたよ。 
キノコにクリームチーズをもりもりのっけて焼いて食べたらマジでうまかった!!
キノコ最高。 
今学期を通じて私が心から感動し、「これだけは本当だ」と思えた事は「キノコ最高」だけっす。
実に美味しかった。 

行け! 行け! そこをどーんと!

 後一日で大学が終わります。 終わるべき。 終わるのか? 全ては印刷所の実力にかかっています。
頑張れ! 印刷所! 私のを完璧に刷ってくれ。
私に冬休みを下され。


今日は、伝統的な事をしました。 あっぱれ伝統芸能。 あと百年やれば人間国宝
チョコレートフィッシュ杯、豆運びチャンピオンシップ! オーイエ! 
私の学部では二年生が一学期の終わりに自分の作ったスプーンでひたすら豆を運び、
短時間でどれだけこぼさずに、そして完璧に拾い上げれるかというどうでも良いコンペがあります。
なおかつ! なぜか、見ている人達は先生達が「一学期よく頑張った!」という気持ちを込めてくれた
ロリッポップをなめながら見るという無意味な伝統が…。 しかもおかわり自由!
私はなめすぎて口を切った。
学校中にチラシが張られ微妙な数のオーディエンスと共に、この虚しいコンペが行われるのです。
制限時間は二分間でその間に250gの豆を運びきらなかったら大ブーイングがおこります。 怖いです。



私は心からビビっていた。 
昨日の夜中、学校の作業室で桜の木から作った怪しいスプーンをヤスリで擦りながら
なぜか豆掬い大会に心からビビっていたのです。 寝てないから、大した事でも怖くて、
大した事が全然怖くなくなってるのよね…。 逆転しているの、価値観が。 なんで?

大会当日、私は最後の出場者だと知る。 ついでに対戦相手は宿敵ティム。
この間面白いかなと思って奴のコートのポケットに食べかけのハンバーガーを新聞紙で包んだ固まりを突っ込んで
本気で切れられて以来、どこかではっきりとけじめをつけなきゃ行けないと思っていたのよね。 

多分、相手の方がおとしまえをつけたがっていると思うけど、
そんなのは関係ない。 しかし、自分のスプーンの構造上、負けるのは必至。
だったら優雅に負けたい。 戦う前に大げさに宣戦布告してドラマティックに負けたい!
ってことでものすごいガン飛ばして、「ごるぁあ」って言った後に、ころっと負けてみましたよ。
なんか全てが逆転しているんだよ!


みんな徹夜だったようで、のりがおかしく、普通に考えたら全然面白くもなんともない、
人が豆を運ぶその戦いに異常に盛り上がりました。 アイドルは、豆を運ぶ人。
Fifteen Minutes of Fameならぬ、two min fame.
やったね! なんだか嬉しいぞ。



みんながロリッポップを熱心になめながら、




豆を運ぶ人を見つめる、火曜の朝。 選手も勿論なめてます。
先生もなめてます。



上から見るとこんな感じ。
一緒に徹夜した友人の髪の毛に激しい寝癖が朝のうたた寝の三十分でついたことが
私には理解できない。 上から見ると、花輪君のようだ…。



ちなみに、ニュージーランドに来る、格安航空券があるよ。

アルキカタ・ドット・コム - お得な海外航空券の検索・予約サイト

みんな来よう、ニュージー。 まさき! くるんだ!




それにしても、今学期は…。 
まだ終わってないから何とも言えないけど、
本当に、なんだか、後ろにつんのめっている間に終わりやしたよ。
一回も「余裕じゃーん」って感じる事なく、自己嫌悪に浸る時間すらなく。
びびりまくりながら、あっけにとられて、無計画に朝の七時から夜中の十二時まで作業し、
失敗だけを繰り返したさ。 失敗の数では誰にも負けない。 それだけが誇りだ!

井戸 緯度 帆を張れ

あと一週間で学校が終わります。 現在やっているプロジェクトは、三個。 提出日は火、水、木! オーイエ!! 


今週は水、金と課題提出があって、なんだかずっと上がったり下がったりだった。 
全体的に途方もない気分な、ややっこい週でした。 
一人のコワッパが全部を把握できている事なんてない訳で、
見事に今週は「問題が起きるような行動を自発的にとり、結果どつぼ」を繰り返しました。
まさに、「人間対素材、一人デスマーチプロジェクト」。
特に一つのプロジェクトはデスマーチだった。


デスマーチの特徴


デスマーチとは端的に言えば「もともと破綻する運命にあるプロジェクト」です。開発期間がもともと必要量より少なかったり、必要な開発者がほとんどいなかったり、もともと無理な性能を要求されていたりする時に起きます。


典型的なデスマーチでは、次の状態にあります。


*開発者は、プロジェクトの遅れの原因が突発的な事故やミスではなく、もっと根本的な所にあると感じている。


*現在の開発のやり方はおそろしく非効率で、傷を深めていくだけであるとわかっている。


*しかし、現状がどうであろうととにかく開発を進める以外に手立てはない。


*リーダーの前には問題が山積していて、それを一つ一つ解決するしかない。しかし、一つを解決している間に別の問題が二つくらい山に積まれてしまう。


*プロジェクトは切羽つまっており、一時的な休息も許されない。


*チーム内に、ソフト開発とはそういうものだという認識が広まっている。この状況を改善しようとも思わないし、そういう動きに抵抗する。


http://iwatam-server.dyndns.org/software/devintro/deathmarch/deathmarch/index.html#AEN6より引用


どう、サウンド、すっごく恐ろしいでしょ? デスマーチって元々はソフトウェア開発の人達が使っていた言葉みたいなんだけど、この恐怖には普遍性があると思うのよね。 インダストリアルデザインでも、デスマーチはある。
実際やってみると分かるけど、それはそれは恐ろしいものですよ…。 ホラー、怪談、ローリングストーン、それら全てを混ぜ合わせたような駄目駄目感。 苦い思いでになりました。 作業している最中ずっと惨めだったのは、自分がやっている事がデスマーチだって分かっていたからなんだと思います。 やっと分かりました。 勉強になった気がする。 失敗から学べる人でいたいとは思いますよね。


はあ…、それにしてもなんだか恥ずかしい一週間だった。 
まず、性格が全くいつもと変わってしまっておりました。
でも、まあこれは私だけじゃなくてみんな変な性格になっていたけど、
私は不安定な嫌な奴だったよ。 友人は無駄にセンチメンタルだったよ。


忙しくて一週間一回も家に帰れなくて(ここからデスマーチは始まっている)ずーっと学校と学校の横の友達の家にいて、朝から晩までずっと同じ人達と同じ建物で、同じ事していて、そうしたらどんどんハードコアな方向に行ってしまって、なんか、駄目でした。 何をあんな小さなものに異常に本気になってたんだろう。 意味が分からん。 結局プレゼン失敗して、そのときもオイオイ後で泣いちゃったりとか、「なにをそんなに、煮詰まってるんだ?!」って行動のオンパレードでした。 うーん…。 恥ずかしい。

今もう一つのプロジェクトでutensil作ってます。 これも、デスマーチでさ、かなり煮詰まって、誰も手伝ってくれないぐらいに煮詰まったんだけど、昨晩、なんだかするっとどこか違うダイメンションに移動した気がします。 今は楽しいことやろうって気分になっている。 本当に、本当に、くだらないぐらいに煮詰まってたんですよ。
誰も手伝ってくれないぐらいに煮詰まっている状況がたかがutensil作るためだけにおこったって、どれだけアホなんだって感じだよ!


なんで今こんなにある種すっきりしているかというと、片道40分ぐらい学校からかかる自分のフラットに帰ったって事がなぜかものすっごく効いたんだよ。 やっぱり移動距離って大切だなあ。 狭い街で狭い移動距離で狭い人間関係で、狭い建物で、ちっこい物を作ってると、煮詰まる。 時間がもったいないと思っていたけど、結局ずっと学校周辺にいた事の方がもったい結果になっちゃったなあ。 そして沢山寝た事も関係があるみたい。


やっぱり終わらないプロジェクトとかってやっちゃいけないなと学びました。 やれる事をやれる範囲で完成させる事が大切っすね。




そういえば、関係ないけど私のへっぽこ大学からはノーベル賞受賞者なんてでてないけど、昨年、イグノーベル農業史賞受賞者が出ましたよ。

研究内容は、

* ジェームズ・ワトソン(ニュージーランド、マッセイ大学)

彼の学者らしい研究、『リチャード・バックリー氏の爆発するズボンの重要性』に対して。

1931年、ニュージーランドの農村部で突然無差別に男達のズボンが爆発するという怪現象が発生した。あるズボンは真っ二つに裂け、あるズボンはくすぶって煙を上げた。たちまち各地で同じ事例が報告され、ズボン爆発は全国を恐怖に陥れた。原因は、揮発性のある農薬が、綿など天然素材と化学反応を起こして発火したことだと後に判明した。こうした背景には、第1次大戦後のニュージーランド農村で出征や都市化などにより人手が減り、発火しやすい塩素酸ナトリウム含有の強力な除草剤で戦中雑草だらけになった放牧地の除草を手早く行おうとしたことがあるらしい。この事件が農夫のズボンや農薬など、様々な技術を改善させた。

http://iwatam-server.dyndns.org/software/devintro/deathmarch/deathmarch/index.html#AEN6http://iwatam-server.dyndns.org/software/devintro/deathmarch/deathmarch/index.html#AEN6より


へえ…。 何とも興味深い…。

終わんないし、始めてないし、疲れたし、惨めだし。

 計画したって、駄目な事ってある。 全部なんだかぐちゃぐちゃだよお!!!

再来週になったら全部が笑えるんだろうなあと思います。
その笑いはどっちかって言うと、風雲たけし城とか、Jackassとかそういう系の笑いで、ピンポンを見た後の微笑みとかじゃあ無いことだけは確か。

今日、友達が猛スピードで回転する椅子の上にたって、クレヨンしんちゃん並みにお尻をバーンと出して、なおかつその時に鼻水を出している(私の友達は狂ってる!)のを見た瞬間、人生で一番凄い瞬発力で笑ってしまったよ。 凄い。 すっごく、面白かった。 なんでそんな事をしていたかと言うとクラスの特定の女の子をアビュースするためだったんだけど、何故私にそういったアビュースをしてこないかという話しになった時に「だって、あんなは男じゃん」という返事と共にさらっとながれた。 笑っちゃうからいけないのかしら。 やっぱりはにかまなきゃね。 でも、全然はにかめない。 ってか、はにかむのか? 目の前に回転する美しい肌色の臀部があるときに、はにかんだら女なのか? 悲鳴をあげるべきだったんだろうか。 泣くまで笑ってはいけないのね、きっと。 あと、これも今日の話しなんだけど、画材屋さんに行くための道路の横に、1メートルぐらいの工事現場のフェンスがあって、その臀部を突き出して回転していた子が、ものすごい跳躍で飛び越え、それに続けとクラスの他の男の子がジャンプして、思いっきり足がひっかかり、バコンと下水の工事現場の変な溝に上半身から落ちていたのを見て、その時も腹を抱えて笑った! 私はその道路を横断する為に、ダッシュで車と車の間を走っていたので、そして二つの事が同時にできない人間なので、笑いつつ走るのが本当に難しくて、私まで危うく事故にあいそうだった。 落っこちた男の子は心が傷ついたようで、私がそこにたどり着いた時にがっしりとハグをしてきたんだけど、その間も私はひーひー笑っていて、そういうのが、多分、いけないんでしょうね。 もっと、なんっていうの、その下水の工事現場の溝に上半身から落下した友人に深い同情と愛情を込めたまなざしで、彼の心の傷をひしっと受け止めて上げたら、女としての株もあがるってもんなんだろう。 でもそんなのインサイダー取引だ! 夜、友人四人で学校の机を食卓にし、中華料理を食べていたんだけど、そのときの会話の内容が悪口だけだったという事実からしても、最近の私は止めどなく下品です。 「あの女はきもい! けつつきつけられて当たり前だ。 しかも多分男の生尻見たの始めてだよ。」とか、「あいつの絵だけは見たくない」とか、「今通り過ぎた男が嫌いだ」とかランダムにひどい事だけをみんなで言い合っていた。 その間、私はひたすら食っていた。 ひどいなあと思いつつ、笑いながらお米とか飛ばして気持ち悪がられながら、餃子を食していました。 多分、スプレーペイントとか使いすぎてみんな変なテンションになっているのよね。  で、今男友達の友達の横でお尻をかいていたら「それだけは許せない!」と怒られた。  はあ…。 作業、終わんないし、始めてないし、疲れたし、惨めだし。 あああああ!!! ヘルシーな人生よ、もう一度!


以上、近況でした。