いつも自分が癖で使っている言葉を使うのをやめてみたら考え方が変わるんじゃないかと思う。 私は意味をぼやかす為の言葉を使うのをやめようと思う。 ふとそう思った。

本を作る課題は無事終わった。 時間が間に合わず大幅に章が減ってしまったがそれは自分の所為なので仕方がない。 悔しがっても仕方ない時ってあるのだと己に言い聞かせるのは久しぶりだ。 そう、それぐらいに良い課題だったんです。 とても楽しかった! それに自分が作った本が自分に対してとてもよく働きかけたから満足だ。 本を作っている間私はとても安定していられた。 デザインをする過程がよかったのか、文章を書く過程が良かったのかははっきりしないけど、作っている間満たされていったのが分かった。 そんな状態になった制作は初めてでした。 そうなるように自己暗示していたから、まんまと自分で引っかかっただけなんだけど、良いものですな。 本を作る為にした調べものが楽しくて、私は助手とかが向いていると実感した。 下準備に異常に興奮するんだ。 500%分ぐらいの物をあつめて実際に使うものを選ぶときの快感も良いんですが、集めているときはキノコ狩り用のかごを背中にしょって森を歩いているような、トランス状態になります。 ナチュラルボーンアシスタントだわ。 友達の作業の手伝いをしているときもそうです。 もう、あなたのところに就職させて!って感じになります。 そしてそれを使う人が使いやすいように完璧なアーカイブにしたい気持ちがわくのです。 私がMike Kelleyの作品でぬいぐるみのアーカイブが好きなのも、Damian Hurstにそこまでむかつかないのも、絶対その性癖のせいだ。 図録なんかもときめきますな。 インデックスとか作りたい。 作ってみたい。 ってか作ろう。 誰の作ろうかな。