切り替え

今大学で三教科とってるんだけど、やっと三つとも課題が終わって、新しい課題に突入いたしました。頭切り替えなきゃ。 骨盤も三十枚デッサンも、シャンデリアも提出したし、マオリ文化についてのスライドテストも終わったし、やっとこさまともに家にかえって来れる生活になった。 でもすぐまたドンズマリな感じになるんだろうけどさ。 今日はギャラリーと博物館をぶらぶらしてきた。 Wellington City GalleryではBridget Riley展をしている。 マジオプ。 ひたすらオプ。 オプ流行ってますね。 流行ってるついでに母の出現って感じです。 私はあんまり面白いと思わなかったけど、一緒に行った子は興奮していた。 博物館ではマオリ文化に触れる。 面白い事とか結構あったんだけど、単語が出て来ない。 博物館の中にたてられたマオリ文化的集会場みたいな所に私の情報を登録してきたから私は今、どこかに属しているのだが、その属する事で自分に何がおこるのかがついこの間マオリ文化についての試験を受けたばかりなのに、いまいち良く理解できていない。 駄目だ、私凄く疲れてる。 あー、疲れているし、恋がしたいし、人に憧れたいし、人生に希望を感じたい! 

ハウス愛原に新しい同居人が来たらしい。 楽しそうじゃね。 人と住むのは楽しいですよね。 って、実は私一人暮らしした事がないから比べられないんですけど、12歳から寮に住んでいた身の上としては家族以外の人と一緒に暮らすってのがあまりにも生活に当たり前な事で、生活ってこんなもんだろってイメージにはいつでも他人と同居ってのが入っています。 一人で住み始めたら本当に人生が変わったって事になりそうです。 一人で住むってどんな感じなんだろう。 とりあえず私が急に始めたら寂しさを覚えるだろうな。 家族以外と住み始めて早9年になり、その間に一体総勢何人と同じ屋根の下にいたのか自分でも分かりません。 多分、次引っ越す事があったら同棲とかまた友達と同居とかだろうから、当分一人暮らしってのは無いんだろうな。 高校三年生(こっち風に言うと七年生)の時は彼氏と別れた事がきっかけで、超ヒッピーになった不思議な女性と二人暮らしをしていた。 多摩美の時期は三人(って言っても私がいつも人を連れ込んでいたので、いつも四人ぐらいは必ず家にいた)、高校一、二年生の時は四人暮らし、Summerhillの時は約60人、日本の中学ではとりあえず超たくさんの人と暮らした。 で、今五人。 一人で住むってどんな感じなんだろう。 とりあえず、夜目が覚めても一人なんだよな。 咳をしても一人なんだよな。 冷蔵庫の中にも自分の食べ物しか入ってないんだろうな。 いつの間にか、人を家に泊めるのがめんどくさくなったりとか、特別な事と感じたりするようになるのかな。 分からん。 でも別に今のところそれがしたいとも思わない。 でも中学の時のように寮長のいるところは嫌だ。 寮長の事は愛していたけれども同時に激しく憎んでいた。 うん、寮長との分かれってのが、なんか革命的だったのよね。 うちは親がうるさくないから、中学の寮長の口うるささに、「大人って!」って気分になったものだ。 なぜゆえ、寮長に下着漂白されなきゃいけないのだ?!
 青年期日本滞在の事を思い出すと、思い出はほとんどハウス愛原と関連する。 大学には授業の時以外いなかった。 暑い夏(暑すぎて映画館や図書館とか涼しい場所を求めて移動したので、結構文化的な生活だった)、寒い冬(寒すぎて一人でいれなかったので、いつも居間か友達の部屋でお茶を飲んでいた。 人と一緒にいると暖かいという簡単な事実を深く理解できた)を過ごしたハウス愛原。 この家は同居人と一緒に不動産屋さんに行って、家を見て回って決めた物件なので相当気に入っていた。 相原駅から家までの間にある橋や、植物なんか凄く好きだった。 橋本駅への近道を自転車で探す旅も良かった。 物件探しの時も結構面白かった。 最初一軒家を探していて、超ゴミ溜めの家の隣の家とか(隣の家のゴミで壁が倒れそうであった)、「ああ、あるんだ、こんな家」って感じのを見た。 駅の近くのマンションとか、絶対パーティーしたらおこられるよって感じのちまっとした隣との密接感が凄い家とかね、不思議物件いっぱいの橋本は、きっと誰の心も無意味に刺激してくれる事でしょう。 さあ、今すぐ不思議タウン橋本/相原へ、エイブルでマスト! 

私の趣味であります、植物と魚の育成は元同居人が続けてくれております。 私が駅のトイレに捨ててあるのを拾ってきた名前の分からない木なんかも元気なんだそうです。 しかもメダカなんて繁殖して、蚊まで食べちゃってるそうじゃない。 凄いわね!