図書館で課題をしていたら、無性にむしゃくしゃしてきた。 いろいろな事が腹立たしかった。 横に座っていた男の子も同じ課題をしているみたいだった。 日曜日の午後の博物館の中の図書館には私と同じ授業をとっている子達しかいないようだ。その子も、むしゃくしゃしているのが手に取るように分かった。 イライラが伝わってくる。 突然ヘッドフォンをつけて横に座っていた子は机に顔を埋めた。 絶望のポーズってやつだ。 シャカシャカ、音が漏れてきてもっと私はイライラする。 しかしよく耳をすましてみると彼が意外な曲を聞いている事が分かった。 QUEENのDon't stop me nowだ。 課題に絶望しながら(少なくともそう見えた)その曲を聞くとは凄い。 私のイライラは一瞬収まった。 

博物館が閉まった後にスーパーに行く。 私はスーパーマーケットが大嫌いだ。 少なくとも高校生のときぐらいまでは好きだったけれども(真夜中のスーパーマーケットは夢いっぱいで遊びまくるにはぴったりの場所だった)年々どんどん嫌いになっていく。 あの無作法な照明も、かっこいいものなんか一個も売ってない雰囲気も、来ている人達の野暮ったい様子も、見たいものなんて一個もそこにはない。 日本のスーパーにはそれでも小さくて細かくてどうでもいいような物が、ささやかにおいてあってまだ少しは救いがある。 いつも私が全力で逃げようとしている物ばっかりが、ぎゅうぎゅうに詰め込まれているのがこっちのスーパーマーケットなんだ。 ガソリンスタンドに併設しているコンビニもどきの方がまだましだ。 ガソリンスタンドにはまだ孤高の美しさがある。 こっちのスーパーは食品をどかんと売っている倉庫みたいな感じで全然良くない。 ささやかな生活の美しさはなく、ただずぼらな匂いが漂っている。 どうして生活に必要な物ほど適当に売られるんだろうか。 こっちのスーパーマーケットは醜い。 果物や野菜、食べ物、生活用品、彼らが持つ物の力を徹底的に押さえつけてゴミのように売るのがこっちのスーパーマーケットだ。 巨大なゴミ箱を歩いている気分になって、自分までゴミみたいな気持ちになってくる。

博物館を歩いていると自分がはっきりする。 何が好きで、何が嫌いか。 何が心地よくて何が怖いか。 ウェリントンの博物館にはってセクションがある。 博物館の建物の横にある森を散策する事ができる。 Bush city is a living, growing exhibitonなんだそうだ。 なんかそういわれるとちょっと凄いなと感動する。
そこを歩いて建物の中に入るとって展示につながる。 私はそこが本当に怖くて、息が出来なくて、普通に歩けない。 一人でお風呂に入っているときに、風呂の水がなんだかの力で海とつながって急に海の生き物がこの浴槽の中に現れたらどうしようと考えるといてもたってもいられなくなる。 小学校にあがる前からの私の恐怖の一つで今でも続いている。 だから一人で風呂に入れない。 でも入らなきゃいけないから、出来るだけ恐怖と遠い空間を作るわけで、犬と入ったりするのだ。 とにかく海は嫌いだ。 海の生き物も嫌いだ。 怖い。 それに剥製も嫌いだし、天井にぶら下がっている巨大なクジラの骨は私を心底ぞっとさせる。 落ちてきたらどうしようとも思うし、これが落ちてきた場合、いかなる場所に私がたっていようとも私の脳天めがけて落ちてくる気がする。 あと、鳥の剥製もなんだかの拍子で私に向かって吹っ飛んできて私の目玉に彼らのくちばしが刺さるような気がして仕方がない。 怖い。 私と剥製達の間にあるガラスが、剥製を保護しているのではなくて、私を剥製から保護していているのだと思う。 そして私がガラスに触って存在を剥製に伝えてしまった瞬間に、彼らの最後の力で私の眼球目がめて吹っ飛んでくるような気がする。 で、おののいた私が壁に当たった瞬間に、なんだか運命的な振動が壁内部で起きてクジラの骨が私の脳天めがけて落ちてくると。 最悪だ!!  ベッドの下のカーペットが実は何かの動物の剥製の一部が組み込まれていたらどうしようと思うと、そして日々くちばしをのばしていっていて私はそれに気がついていなくて、ある日寝返りをうったときにくちばしが目に刺さったらどうしようと思うと、一人で寝れない。 前の家でかっていた魚達は私に生と死のぎりぎりのスリルを日々与え続けてくれて大変良かった。 めだか程度ならね、川魚だし。 川は好きだし。 河童好きだけど、海坊主は嫌いだ。 でも、それにストレスト アウトして一人で寝れなかったんだとも思う。 私は海が怖い。 深海が怖い。 剥製が怖い。 突き刺さりそうで怖い。 変な匂いが私にしみ込んできそうで怖い。  私はロバート・スミッソンにはなれない。 湘南出身だけど暴走族にもサーファーにもなれない。 近所の海を見るだけで生と死をかけたストレスは十分に感じる事が出来る。 
今日は博物館で怖い物や嫌いな物をずっと考えていた。 あと高いところが嫌いだ。 エッフェル塔に登ったとき本当に後悔した。 酔っぱらっているときに、友達に「今この部屋が11階だと思うと、ちょっと感覚変わらない?」って言われ大変納得し、ついでに自分がまたエッフェル塔にいると暗示をかけてしまい、悪酔いした。

「虚偽的愛」なる展覧会が台北現代美術館で行われたそうだ。 その展覧会の図録が博物館の図書館にあって、思わず手に取った。 雰囲気が懐かしい。 今までの台湾人の友達の持っていた雰囲気を集約させたような図録の作りに、思わず涙。 かわいらしい事に素直な人達が多かった。 それにしても、から流れてくる重厚な音楽はいったい何を表しているのだろうか。 
「虚偽的愛」のはこうやっていろんな人の作品をごちゃ混ぜにしたデザインを作って良いのだろうかと見ていて不安になる。 (どうでも良い話しだけど、図録ではMr.の名前が漢字表記で大変興味深かったのにウェブでだとアルファベットでちょっと残念) 
日本人作家と台湾人作家がこうやって一緒に展覧会をしているんだなと思うとワクワクする。