七夕

adanae2005-07-07

七夕の夕べを友達とする。 友達の家に集まり、飾りや短冊を作って笹に吊るす。 トーヨーの折り紙を触ったのは久しぶりで、匂いや固さがとても懐かしかった。 床にそうめんや、すいか、とうもろこし、すもも、三ツ矢サイダー(この飲み物は、永遠に好きだ)を並べて、友達と触り合ったりしながら夜を過ごした。 友達からなんだか色めき立った匂いの電話やメールなんかが急に数件来て、おおっ七月七日は万国共通に爛々としちゃう日なのかと思った。 静かで静かで笹のようにしなやかな夜だった。 小さいときから七夕の短冊には「世界平和」と書くものなんだと思っている私がそれを書くとなぜかまわりに笑われる。でも韓国人の友達がハングルで「世界平和」と書き私の短冊の隣に飾ってくれた。 
次の日にイギリスに帰る友達に気をつけてとベランダに出て電話をしたら、気をつけるも何もロンドンでテロが数時間前にあったと聞かさせられた。 室内で、短冊に願いを書いている友人や、飾りをつけている友人を見ながら、自分が何を思うべきなのかと考えた。 冷静にならなくちゃいけない。 
深夜、みんなで露天風呂に行く。 露天風呂に入りながら蛍を眺めた。 その温泉には露天風呂の横に畳がひいてあって、みんなでねっころがることができる。 友人五人で裸でその上でねっころがりながら蛍が飛んでいるのを眺めて、隠すところに個性を感じたりしながら、夕涼み(真夜中涼み?)をしていたら歴史や文化が細かく作り上げてきた時間の流れを感じた。
友達の家に帰り、ぼんやり思っていることをはっきりとされたときの驚きについて私が熱中して話す。 自分でも、「そんなことどうでもいいじゃないか」ってことを永遠と熱心に一人で説明していた。 多分、いろいろなことが心配で急に自分のまわりのものがかけがえがなく思えて、冷静でいようと思っているのに、自分の個人的な感情が殴り飛ばされたような気持ちになっていて、とにかく思っていることをすべて友達に言っておきたくなったんだと今は思う。