ある程度の里心は噛み締めると美味しい。

夏休みに入ったからか、日本の友達が誰も相手にしてくれない。 寂しい。 みんな何してるの? バイト? 制作? 展覧会準備? それとも夏祭り? うわーなんだかうらやましい!

寂しがっている暇はないほどにヤバい課題も、無気力の所為でたいして進まない。

日記もこの間、謎の中華料理屋の店員¢10コイン十枚手のひらでちゃらんちゃらんで餃子で黒猫の話も描写が苦手なのに、きちんと整理して時間を追って書いたのに消えてしまった。 あああ!! 


あと、little boyの感想をまとめて書いたのに、登録する前にブラウザを閉めてしまったから、消えてしまって、えらくやる気がなくなった。 (とりあえず全部読んだので、T美の皆さん、私を仲間に入れてください。)

little boyの中にある村上隆のエッセイは、漠然と力が湧いてくるような、力が抜けるような、すごい内容でしたね。 かれの文章は川のようだ。 滝付きの。 最後の最後で川の流れは滝に注ぎ、ものすごいどさくさのうちにすべて落ちる。 エヴァンゲリオンの最終回かと思いました。 まさにおたく! おたくは話を広げるだけ広げて最後に妙な終わり方をする。(それを永遠説明した後に自分でもそれをやるってのがすごい。 意外と律儀だ) そしてlittle boyって題名と、この本の構成、また文章の構成はきちんと筋が通っているんですね。 そうやって、意外とそろえるところがきちんとそろっているところに、「おたくでない」村上隆のスマートさを感じました。 もっと支離滅裂になるのかと思っていた。 

 最後の宣言にはびっくりした。 宣言の内容にも驚いたけど、最初にステイトメントで後に説明って構成の文章になれていたので、最後に宣言がくるとは思っていなくて単純に予想外でびっくりした。 考えてみたら物語って最後におちがくるし、ウルトラマンにしろなににしろ最後に戦って、宇宙に帰っていくんですものね。 最後に宣言がくるのはごもっともだ。 

 丁寧に戦後日本のおたく文化を説明していたかと思った矢先に、椹木野衣の水平宣言とスーパーフラット宣言をリンクさせた文章が間に入り、あれよあれよと言う間に、村上隆は「怪物宣言」をする。

われわれは奇形化した怪物。「人間」である欧米人から見れば、「人間以下」の被差別民だった。 椹木氏のメールで私は改めて確認した。 superflatプロジェクトはわれわれの「怪物宣言」であり、いまこそ、怪物ゆえの芸術であることを誇りうる時が来たのだと。   村上隆 Little boy. pg.161

われわれって誰だ?って疑問はさておき、私は最初これを真剣にとってしまい、この文章の形式自体がおたくなんだと気がつくまで、奇妙な気持ちになっていた。 宇宙船かなんかに乗って椹木野衣と一緒に帰っていくのかと思ったよ、かの星へ。 卓球の愛ちゃんのサーブの時の声みたいなの出しながら。

little boyの中でおたくは村上隆によりポリフォニックに説明されて、そして彼は風呂敷をたたみ去っていった。 さいならっきょ。 後は平地が残るのみ。

本当に良く作り込まれていた。