風邪

久しぶりに風邪をひいた。

ベットからずるずる出ながら、朦朧と部屋の障害物をよけて歩いている時に気がついた。 こんな汚い部屋なら、風邪もひくだろうと。 私はこう思うのだ。 片付いていて、清潔な部屋に住んでいる人の方が、不潔でごちゃごちゃな部屋に住んでいる人よりも風邪をひかないのではないだろうかと。 全てはこの汚くて、オーガナイズのかけらもないこの部屋が私の身体的な、また精神的な健康状態を著しく乱しているのだ! 間違えない! 私は、吐き気を押さえながら、部屋を片付けた。 

そしてどうしてこんなに訳の分からない紙が部屋中に散らかっているのかを考えた。 街で拾ってきたフリーペーパーやら、レクチャーで貰ったレジュメやら、スーパーのレシートやら、自分の落書きした紙やら、訳の分からんものが、そこら中に散乱している。 どうしてなのか考えてみた。

まず、私は紙に対してノイローゼー的な思い込みがある。 紙は尊くて、非常に重要な資源なのだ。 だから裏に何も印刷されていない紙の場合、それは私に取って白い紙と同じなのである。 それ故、レシートすら捨てられない。 1cm×3cmの紙片すらもが、「ああ、いつか計算用紙に使えるかも」と思い捨てれない。 計算なんて計算機抜きでしない私が! 九九すらろくに思い出せない私が、計算なんてそんな紙の上でする分けがないのに、なんてこった。 もったいないお化けに取り付かれている。

コラージュやら、計算やらする前に、自然発火して部屋中がボーボーに燃えてしまうと、風邪で切羽詰まっている私は初めて思うことができた。 風邪万歳。 

だから捨てまくった。 これでもか、これでもかと物を捨ていたら気持ちがよくなって、後少しで今やっている課題の資料なんかも捨てそうになった。 

使った物を元に戻す、使わない可能性の方が少しでも大きいものは潔く捨てる。 多分これらの行為をしていない限り、清潔で整った部屋には住むことはできないのだ。 若い人間の部屋が不潔であることにメリットはない。

ただでさえ、木炭やら絵の具やら部屋を薄汚くする要素の多いものを使っている以上、その行為を徹底させないと、汚い部屋からは脱せない。 私はもう気がついてしまったのだ。 気がついてしまった以上は行動しないと罪悪感になる。 そして私の溜め込んでいるものは、その罪悪感に対するほどの価値なんてない物なのだ。 

一日一回ゴミ捨ての習慣をつけよう。 そして、使ったものは、元の場所に戻そう。 きっとそれらを守れたら私はましな人間になれる。

そしていつの日か、「ああ、なんでこんな簡単なことが昔の私はできなかったんだろう。 おろかだねえ」と思える日が来るのだ。 そうしたら勝ったも同然。 きっと愉快な日々が待っている。 


最近コンピューターを使う作業が多くて、肩がこって困る。 ベッドの上でねっころがりながら課題をやっていたら、風邪と相まって冗談にならないぐらいに体調が悪くなった。 そして本気で、これからは机で作業しないとヤバいと分かったのだ。 よって、今日は机周りも効果的になるようにオーガナイズした。 家の机の家で何かやるなんて百年ぶりぐらいだ。 

机で働くってなんだか素晴らしいです。 考えがまっすぐするとでも言うんでしょうか。