手術灯

画像検索

例えば、手術台の写真は手に入れたけど、あの上でUFOのように光ってるやつの独立した写真が欲しいとなった場合、なかなかに大変です。 まず名前がいまいち分からないので、「手術室 照明 医療機材 カタログ」など関係がありそうな言葉から検索ですね。 検索結果から、これは手術灯とよばれているらしいなど、語彙を増やしていきます。 (一つの名詞を知っているかいないかで検索に費やされる時間はかなり変わるのに、なんだか人生を感じます。)
そして目的の写真を見つけるまでの間に、便利なサイトにたどり着いたりする。
私は今回大変便利なリンクを見つけた。 チェケ。 

ここのリンクから、カラッとした、味気ないカタログ用の写真がわんさか手に入ります。 なおかつ、不思議なテイストの広告とかも見る事ができて、結構ためになります。 
そして私の欲しかった写真は、リストの中のから手に入った。 素晴らしい。
ありがとう、medidream! 医療機器メーカー情報のページを作った人に乾杯!

ジャッジ

日本を批判、批評する人が日本人留学生に多いんだけど、そのうちの何人が実際に日本文学を読んだことがあるかとか、日本で興ったデザインやらアートやらそれに絡んだ前衛的な考え方についてどれぐらいまず知っているのかとかといつもおもってしまう。 

芸術とか、そういった創造物が日本文化にとって非常に重要だと考えるのは、私がただ単にそれに興味があるからだけなのかしら。

日常で行われている批評って、「完璧な物」と今の物を比較しながらピッキーになるっていう古くさい方法が多いと思うんだけど、そんな大きなトピックを自分がディールできるほどにいろいろ知っているのかと思うとそんなことないと思う。 だからまずは、自分が思う完璧な物とは何かという方向にまず考えた方が、もっといろいろクリアになるんじゃないでしょうかと、その手の物の見方での話がカフェとかにいる時にでると押しでがましくない程度に(テーブルの上のペーパーナプキンのそう書いてそっと相手に渡すとか)伝えたくなる。 

意見を持つことは大切だけれども、それが批評的でなくても良いんじゃないか。 なんかきっとあるんだよな、批評ってこういうものだっていうステレオタイプが。 そしてそれをしてしまうんだよな。 直感や意見を言うために。 でも、ただの現状批判に聞こえてしまう。

批評ってこういうものっていうイメージの中でおこなれれている場合の軽はずみな”批評”は、自分自身を不自由にさせると思った。 下手な鉄砲も数うてばあたるように、軽はずみに言った言葉も何かに勢い良くあたるかもしれないけど、その他の流れ弾は一体どおこに行って、どんな影響を起こすのか。
流れ弾のサイドエフェクトのことまで考えるのは、ちょっとパラノイア入りすぎているかもしれないけど、どちらにしろスタイルを変えてみる価値はあると思う。 

それにしても日本人の子たちが日本とはなんなんだってことについて話したくて仕方がない姿は、いつも興味深い。 私は日本の大学の先生に「文化を語るんだったら、アイビーリーグにて比較文化Ph.D.を取ってからにしろ」と言われた時に、大変気楽になり、じゃあ今は語んないと思ってから、あんまりニュージーランドってこうだとか、イギリスってこうだとか、日本ってこうだとか言わなくなった。 そしてそれがあんまりにも楽だから、思わず人にも進めてしまうんだけど、誰も私のように気楽にはならず、人々は日本についてとか語り続ける。 なんだかものすごい量の意見を持っている。 凄いよな。