ハリーポッター 炎のゴブレット

今年も、おハリさんの季節が来たねえ、冬だあ。
 ハリーポッターに熱烈な思いを寄せている訳じゃないんだけど、毎年先行上映会に行くのが自分の中のならわしになっている。 「いよぉぉ〜、おハリさん!」とハリーが出てくるところで呼びかけたくなる感じです。 小説も読んでないし、出ている役者の名前も、ダニエル・ラドクリフぐらいしか知らない。 私は決してポッタリアンじゃないんだけど、でも見てしまう。 不思議映画ハリーポッター
 
 しかしあれですね、ハリーもついに思春期突入です。 やった! ついに、ボールに行くような年齢になりましたよ。 こそばゆい感じですね。 見ながら全ての行動に「うわーああああ」ってなったよ。 なんか、一種の懐かしさ。 そう、私が行っていた学校にもあったんです。 あんなに絢爛豪華じゃないけど、学校のパーティーとか、スクールボールとか。 しかも寮。 人間関係とか、自分が嫌われている状況でもっと嫌われるような行動を自己防衛で取る感じとか、友達を疎ましく思う感じとか、自分の脳みその中が邪悪な感情に120%支配される感じとかさ。 ひたすら懐かしかった。 マジで見ながら涙が出そうになった。 この頃に喧嘩したり、嫌いあったり、好きになったり、しんどかったこととかそういうことで学んだことを「これは真実だ!」と思い込み、その後数年間をその思い込みとともに過ごす。 その自分で思い込んで、その思い込みをものすごく正統なものと思い込むってのが、若さってやつじゃないでしょうか? ハリーとか、ロンとか、ハーマイオニーとか、これからの数年間の自分の考え方を左右する"思い込み"を今得ているときなんだろうなーと訳の分からない感慨を受けてしまったよ。 この思い込みの質がその人間の質って感じもしますよね。 私はハリーポッターを見ながらそんな事を思った。 それにしてももし14歳で寮の友達とむちゃくちゃ喧嘩していて、ホルモンが乱れまくっている時とかにこの映画を見ていたら、どんな感じだったんだろう。 ハリーとかが自分のロールモデルになったりしたのかな。



 ここ数日間人生で得たことのなかったほどの平穏な日々を過ごしています。 朝実家で目が覚めて、地元でバイトして、夕方家に帰って(一旦家を出たら、24時間以内にまた家に帰るなんて事、私の行動パターンにはなかった!)その後家でテレビ見たり夕飯食べたり本読んだりする。 全てが実家のある山の中で行われている。 凄いことですよ、これは。 人生観変わりそうです。 なんか色々と地に足がついた感覚になってくるさ。 思わず、よしもとばななが書いた、小沢健二についてのコラムを読み返すぐらいに、私は元々の私の感覚に戻って行っている。 昔自分が読んでいた本に囲まれるってある種の不気味さがあるね。 
 ぱらぱらと読み返すだけで、自分の要素とかが見えちゃって、気恥ずかしくなるよ。
どんなに自分が小沢健二吉本ばななの事を忘れても、小学生時代に彼らにクレイジーになっていた私自体からその要素をすっぽり抜き出すことは無理なんだと知りました。 ここで白状します。 私の最初のスーパーヒーローは小沢健二よしもとばななです。 


 当時はまだ吉本ばななだったよしもとばななの本「ばななブレイク」には、90年代の英雄たちがわんさかのっている。 どうぞ、機会があればぱらぱらと目を通してみてください。 



私は結構典型的な(嘘)小学生で塾に行くための電車の中でずっと小沢健二の「犬は吠えるがキャラバンは進む」をダビングしたテープを永遠と聞いていた。 スチャダラパーも、コーネリアスも、東京スカパラダイスオーケストラも、小沢健二に関わる感じのやつは全てテープにダビングして(ダウンロードじゃないですよ、ダビングなんですよ、時代を感じますね!)塾に行く道で聞いていた。 だから、小学生時代っていうのを思い出すと自動的にそこらへんの音楽を思い出す。 

小沢健二の「犬」とか「LIFE」とか聞いても、その甘さに、今時分が得れない甘さに拒否反応が出る。 本当は欲しくて仕方がない幸せを横で歌われても、実際手にしていない人間は「ッケ」ってなるだけさ。
しかし、たまに猛烈に聞きたくなる。 いや、正確いうと聞きたくはならないや。 猛烈に歌いたくなるんだ。 そして友達の胸に手を当てて、ちょっと一言ぐらい言ってやりたくなる。 言われたい言葉を言ってやるってのりでさ。




小沢健二の音楽を吉本ばなな阪神大震災地下鉄サリン事件がおこった後での日本の音楽というふうに説明している。 
もしかしたらそうなのかもしれない。
吉本ばななぐらいの年齢の人達からすると、95年ってきっと凄い区切りの年なのかもなと思う。 私は物心がついた時がそのときで、私が知っている日本や東京や「毎日の生活」ってそこらへんから始まってるから、それ以前を思い出せないんだけどさ。
私はSeptember 11th以前以降って分けて考える癖がある。 これは明らかに9.11以降はなくなっちゃった雰囲気の物をふと目にした時、あったかもしれない、まだWTCのある2005年を想像してしまう。 きっと90年代生まれの子の多くの「世界ってこんな感じ」ってのは2000年以降の常識の影が強いんだろうな。 当たり前の事なんだけど不思議な感じ。





ばななブレイク

ばななブレイク

LIFE

LIFE

dogs

dogs





そういえば全然関係ないんだけど(いや、あるか?)
大学の友達でいかにも「うちピチカートファイブ好きやねん」って感じの関西女がいるんだけど、彼女と遊んでいる時に「私はフリッパーズギターだから」って感じで、その渋谷系の対立がおこるのが個人的に好きです。