陰翳礼讃

陰翳礼讃 (中公文庫)

陰翳礼讃 (中公文庫)

 数ヶ月前、偶然にも数人の人に読むことを薦められた本。 昨日から読み始めました。


面白いところと、むかつくところが交互する。 長所と短所の縞模様。 ソフィー・カルの顔みたいな作品だ。


 一回目に読んだ感想は「面白いけど、腹がたって仕方がない」だった。 腹をたたせずに読む為に苦労した。 どう腹がたったかを書きます。 だって、本当に腹が立ったんだもの! そして結構そのむかつきを押さえるのに時間がかかった。 三時間はむかついてたわ。

陰翳礼讃は谷崎潤一郎が1933年に書いたエッセイで、ひたすら日本の陰に対しての美意識は独自な物であり、西洋のそれとは違うと主張する。 その陰への見地は興味ぶかい。 でも、ほとんどのところがオカルトというか、えせ科学というのか、とりあえずやばい。


 彼の文章の中の一部は軽やかで面白かった。 ある面では偉そうな彼もある面ではとても軽やかに彼が面白がっていることを面白く書いている。  具体例とかたまらない。 でも別に彼の言う陰の美は別に日本独自のことではないと思う。 どういうふうにその美を体現したかとかとかは、日本独自の方法があふれていると思う。 だから本の中で例として出されている事柄と陰の美という考え方は興味深く沿い合っている。 そこらへんは面白かった。 でも別に暗いところに美を感じるには日本文化だけじゃない。 力一杯言えるが、西洋の空間構成も十分に暗い。 それに、明かりは暗さを際立たせるために使われている一面がある。 ない訳無いじゃないか。 相手だって、ろうそく使って生活していた時間の方が長いんだから。 (谷崎も書いているが、今でも日本よりヨーロッパの方がずっとぐっと暗い。 電気あんのか?って勢いで暗い。) 何を根拠に書いているんだろうかと疑問を持った。


 この本は具体例は面白いけれど、それを飛躍させてまとめようとする時に隠されることなく現れるナショナリズム。 なんかそのコントラストやコントロールできてない感じが時代を感じさせてくれて興味深い。 実際この本を一回目に読んだときの感想はそれだ。 相手をけなすことでしか自分たちを励ませなかったのかと思うと切なくなる。



 うさんくさいぐらいに日本万歳だし、得体の知れない"西洋"(一体どの国が含まれるのか気になるところだ)へのけなしがあふれている。
 ほとんど「俺の方が偉いんだ!」の主張に読めてしまう、独りよがりな強がりが文章にあふれている。 現代人の見地としてはこれはかなり怪しい…、ってか危ない。 漠然としたつるつるぴかぴかの当時の西洋と、美しく麗しい過去の日本を比べている事体で何がなんだかだ。 西洋ってか、ただたんに当時のアメ車と過去の日本の能の文化とかを比較してるんじゃないかと思えてくる。 彼は陰翳礼讃で古き時代の日本文化は陰を尊んでいたと主張する。 そしてその美の深さを語る。 まるで天声人語のように、直接的に言わないけど「分かるよね?」って形で何かと何かの間に優劣をつけている。 現代社会に生きる無粋な私の立場からすると、なんか終止異常に偉そうだ。(この本を読んで気がついたけど、侘び寂びとかそういう価値観って「俺には分かっているけど、お前には分かるまい。 俺の方が深い。 ルーザー!」ってことなんだと思う。 相手に「いやー、参りました」って言われることを待っているように思われる。 だからある意味この文章は侘び寂び美学の結晶。)




 勿論、1933年に書かれた本であるので、勿論価値観やら世界観やらは違う。 古典と呼ばれるものを読むときにそのときの社会背景を理解しないことには大抵はその時代の高慢と偏見に腹が立って終わる。 特には私には強くTall poppy syndromeがあるので、余計にその高慢さに腹が立つ。 (古典を読むと、現代に生きていてよかったと思える面が多く、ある意味素晴らしい。) 



とりあえず、1933年はどのような年だったのだろうか。
1933年を他の紀年法で表記すると、
干支 : 癸酉
日本 : 昭和8年皇紀2593年(月日は一致)
中華民国 : 中華民国暦22年(月日は一致)
満州国 : 大同2年(月日は一致)
阮(ベトナム) : 保大8年(月日は一致)
仏滅紀元:2475年月日 - 2476年月日
ユダヤ暦:5693年月日 - 5694年月日
だ、そうです。

 Wikiの年表によるとは一月にヒトラーがドイツの首相に就任し、三月には日本が国際連盟から脱退している。 ちなみに黒柳徹子が生まれた年だそうだ。 前年の三月一日には満州国の建国が宣言されている。 1930年代をwikiで見てみると"ブロック経済の時代、十五年戦争 - 日本、中国と戦争状態に、ナチス・ドイツ台頭、1939年 - 第2次世界大戦がヨーロッパで始まる"となっている。 お世辞にも平和そうな時代だとは思えない。 文化面だと、アメリカで車文化が定着したころなんだそうだ。(それより前の人達ってどうやって移動していたの?!) アメリカの1930年代についてはにいろいろのってます。 あと、野口勇は1931年、当時のアメリカの大恐慌の余波を受けている迷える中流階級の人々を見て、「食べられない日がくるのではと、それがとても恐ろしかった。その強迫感のためにかえっていつも空腹感をかかえ、誰に招待でもされたら、すばやく腹いっぱいかきこんだ。 そして、またすぐ、食べられない暮らしになるのではとおそれた」とのちに言っていたそうだ。 そう、1929年10月24日ジェネラルモーターズ株価が80セント下落したのをきっかけに、世界恐慌がおこっている。




またまたwikiによると、

"未曾有の恐慌に資本主義先進国は例外なくダメージを受けることになった。植民地を持っている国(アメリカ・イギリス・フランス)は様々な政策を採り、ダメージの軽減に努めたが、持っていない国(日本・ドイツ・イタリア)はそれができず、ファシズムの台頭を招くことになる。第一次大戦後、世界恐慌まで続いていた国際協調の路線は一気に崩れ、第二次世界大戦への大きな一歩を踏み出すこととなった。"となっている。 

 別にだからこうだとは言わないが、彼がむやみやたらに西洋をけなして、日本をもてはやすのはこういう時代背景もあるんだろうと考えると納得がいく。 「イエーー! ニッポン!」ってノリが必要な時だったんだろうし、それに心底西洋にも屈折した気持ちを持っていんだろう。 「屈折」。 この二文字がよく似合う。



 "日本"と"Japan"が含むニュアンスが違うように"西洋"と"Europe"が含むニュアンスは違う。 その違いが激しく混乱していた時代の本なんだなと思った。