息継ぎ プハ

自分の理想が高い事や、空想癖があること、すぐに真剣になってしまうこと、清潔な面を呪い続けた一週間だった。 周りにいる人、街、それらの作り出す雰囲気になじむ為に、躍起になって今までを否定しようとした気がする。 そして過剰に薄汚れた雰囲気になってしまっていた。 食べた事がないものを食べて過剰反応を起こしたとしか言いようがないですね。 私は飲み慣れない水を普通に消化できるようになったときに、それをいい結果に導きだす為のしなやかな体でいたい。 それに気がつけた一日だった。 

落ち込んでいた理由は簡単で、粗野なめんどくさい、めりめり食い込んでくる年下の子達と時間を共にして疲れたってのと、「ああ、私もこんなんだったんかいな!」と自己嫌悪に陥ったという単純なものでありました。 あと、こっち版上下関係とかにも疲れてた。 日本の上下関係の年齢とか地位とかだったりと同じで、こっちでも強いか弱いかってのが結構な問題だ。 私からしてみたら人間としての評価のうちに入らない些細な事でやけに立体的なパワーゲームが始まる。 それにも結構うんざりした。 人が近くによって来たらその人が自分より優れているかいないかを考えるのは、私もしないとはいわないけど、結構どうでも良いと思えてしまう。 もっとキュビろうよ、オールオーバーに、ほらほら、まず自分と向き合え、最後は無になれと私のカルチュラルバックグラウンドが言う訳だけれども、どっかでそれじゃやってけないのかもと不安になり落ち込んでいた。 いけなかない。 自分が一人でもそうしてりゃ良いだけの話しだ。 

日本の愛に電話をかけて、思っている事を話し凄くまた自分の中の植物が葉っぱを広げたのを感じた。 私が今週一週間かけてつぶそうとした目標や、本心をまた触れる事が出来た。 本末転倒になりそうだった状況を、今やっと安全なところに(ここで安全なレベルっていって立体的に考えてしまうと、また本末転倒になりそうになる)戻す事ができた。 

私は濃度の高い、危険と可能性のプールになかなかに素敵な理由で飛び込んだのだと思う。 今日飛び込んで以来初めての息継ぎをした。 サマーヒルでプールに飛び込み、水面から頭を出して息を吸ったときのあの感覚だ。 世界が懐かしさと新鮮さに彩られる。 

ビーズのネックレスの糸が切れる事に恐怖を覚え、「どこまで引っ張れば切れちゃうのか確かめなきゃ怖くてネックレスが着けられない!」って神経症的な状況から少し違う見方ができるようになってきたと思う。 異文化の中で、その文化が持っている凶暴性に過剰に反応していたんだろう。 暴力的な面や、凶暴な力とは折り合いをつけなくてはいけない。 

大切なのはこの気持ちをまた思い出せる事。 忘れないようにしておかなくては。


落ち込みから立ち直るまでに、典型的な事をした。 わらにもすがる思いだったのですね。 高校の時の友人達と集まって、甘いものを食べた。 気が休まるのかしらと思いまして。 おいしかった。