ノート

  • 缶切りと私(前向きな文章編)

上下運動。 踏ん張り、そしてリズムと一緒になる。 私は機械になり、缶を切り開いていく。 この巧妙な道具を使うたびに、私は50年という数に思いを馳せる。 畑を開墾するイメージや、切り口が切り始めに戻るまでの軽い強迫観念を通じて現実からうっすらと乖離する。

別に真剣な訳じゃない。 考えをひり開く為のきっかけとするだけだ。 私は缶切りを使いながら、自分が機械になっているという感覚をきっかけに、考えるのだ。 様々な事を。 缶切りから想像を巡らす自分を滑稽と思う事も出来る。 でも滑稽なら滑稽なほど良い。 滑稽な事柄から無理矢理想像を巡らす事が、いかにも良いではないか。 

缶が発明されてから50年間、缶切りは発明されなかった。 結構有名な話しだし、その事を聞くとみな一様に少しだけ興味深そうにする。 缶切りについてランダムに、少し関連付けながら、私は自分の感覚にしっくりくる言葉を探す。 機械→未来派→ロシア構成主義バスキア→ヴァンゴッホボート。 または機械→未来派→ジョンケージ→釘→また機械。 ベイクドビーンズの缶を缶切りで切り開きながらそのリズムに乗ってイメージだけを考えていく。 缶切りがまだ発明されていなかった50年間人は銃で缶をうったり、トンカチとノミでふたを開けたりしていたのだ。 きっとヨーロッパ人のがたいの良い男達がどっかの森の中で缶をあける為に銃を撃つのだ。 
そして缶の中の完璧なる闇を無作法に、荒々しく解放し、己が色彩を与えた食べ物を食べるのだ。 印象的な言葉を連ねてみたけれども、全く魅力的でない。 滑稽さが際立った、どこかの缶詰会社の広告のようになってしまった。 








  • 缶切りについて(斜め後ろ向き、尚かつ後ろからけりをいれる編)

今この街で一番缶切りについて真剣に考えている人間が集中している場所は、うちの大学だろう。 うちの大学のデザイン科にいる一年生はみな缶切りから得られる少しでも多くの情報を手に入れようと必死こいて缶切りについて考えている。 私もその中の一人だ。 缶切り…。 なぜだろう、この間の抜けた響き。 「缶切り」。 爪切りの方がまだ少しは官能性がある。 いや、それでもやっぱりなんか抜けている感じがする。 

足切り、裏切り、縁切り、大切り大喜利)、押し切り、掛かり切り、風切り、貸し切り、皮切り、紙切り、着た切り、巾着切り、区切り、首切り、散切り、仕切り、締め切り、初っ切り、尻切り、擦り切り、寸切り、寸胴切り、背切り、削ぎ切り、蕎麦切り、試し切り、付きっ切り、筒切り、銅切り、飛び切り、中仕切り、菜切り、螺子切り、寝た切り、腹切り、日切り、封切り、ぶつ切り、踏ん切り、間仕切り、見切り、水切り、持ち切り、指切り、葦切り、四つ切り、読み切り、乱切り、両切り、輪切り
なぜだか全ての言葉が、日本情緒にあふれているように見えてくる。 それにしても知らない言葉が多くてびっくりだ。 螺子切りねえ…。 can openerもtin openerも両方変な感じだし、この製品へものすごくかっこいい名前があれば良いのにと思う。 ホッチキスとか、ステイプラーとか、なんか良いじゃん。 paper holderとか紙留めとかよりさ。 「缶切り」 それ以上でもそれ以下でもない感じが駄目なのか。 それとも、「きり」という音に何か問題があるのか。 いちゃもんばかり頭に浮かぶ。 ああ、私は缶切りとどう関係したら良いのだろうか?! 缶切りを冷やかそうという気持ちが胸にあふれる。