静かな嵐

課題が本当に終わらなくて、でも今学期はもうすぐ終わりで、切実にやばいのでほとんどの時間を学校で過ごしている。 家に帰るのは夜の一時過ぎてから。 朝の九時から夜中の一時まで学校にいるって、絶対に私の時間の使い方が下手だからだと思うのよね。 もっと、上手く優雅に時間を使えないものか。 でもまだ時間を計算して使う事に抵抗がある。 変な思い込みに心身ともにしばられている。 どーして、前の大学であれほどに課題が溜まるってのは良くないと学んだはずなのに、また同じ行動を繰り返してしまうのだ! 

前の課題の時は結構しょっちゅうユリイカな瞬間があって、銅鑼の音とともに世界が一瞬にして色を変えたような気持ちになったのだけど、今回は静かに前とは違うリアルを感じながら、精密に近づいていっている鉄とてつのこすり合う音みたいなのを聞きながら課題が進んでいっている。 不思議だ。

前の課題の時は前の大学で習った事が頭から離れなくて、知っている知識を正確に使える事に喜びを覚えた。 今回はそれを突き破ろうとしている感じで、なぜか13歳の時の自分を思い出す。 私はゆっくりと何かを知ろうとしている。ゆっくりにしか進めないのが最初は不安であったけれども、今はこのスピードが最速なんだと納得してからは新しい感じた事がない自分のリズムと折り合いをつけている。 紙で作業をしているので、「折る」って言葉がピンとくる。 紙が折り重なり、影が出来る姿はとても良い。 角度や、色のグラデーションを考えるなんて久しくしていなかった。 じっくりとした感動が襲ってくる。

考えのスピードや、イメージを作るスピードが変わる事を恐れていたけれども、実際に受け入れると、新しいものも見えてきて、悪くないなと思える。

そういえば、よく人からスポンジみたいな性格をしているねと言われる。 吸収力と乾燥の早さのコンビネーションなのだろうか。 私から人に与えるイメージは「スカスカ」なのかと少し空しくもなるが、受け入れてきた。 すぐ空しくなる癖があるところがスポンジなのかもしれないとすら思い、スポンジ性と共に生きようとも思う。 今回の課題で私に与えられた題材は缶切りなんだけど、スポンジの人達もいて、「スポンジうぜー。 飽きた」と切れている人をよく見かける。 なんだか軽く傷つく。 そしてスポンジを手厚く扱っている人を見るとちょっと嬉しい。