東京ガールズ

集中して何かをしているときや、楽しんでいるとき、またはそれと真逆のときに、新しい世界のドアが開くような気がする。 だらだらしている性格の私は、だらだらの宇宙に飛び込むのは息をするよりも簡単だ。 でも、集中しているとき、今までとは違うリズムにのれるかもしれないって瞬間があって、それを続けると「身に付いた」って気持ちになる。 今日そんなことを考えていた。

去年の今頃から今年の頭ぐらいにかけて蜘蛛の子を散らすように友達が一斉に日本からいなくなった。 でも夏の日本の人を集める力はすばらしいもので数人帰ってきている様子。 わっほーい! 東京ガールズしなきゃ。 遊ばなきゃ。 すごく楽しみ。

昨日大学で原研哉の講義にもぐってきた。 想像以上にすごくいい授業だった。 私にとって原研哉は光の彼方の人(aka魔法使い)だ。(アレックスにとっては神様らしい。 友達が凄く真剣な顔で私にそれを伝えてきた。) だからその授業ではまるで魔法の呪文を教わっているような気持ちになった。 私は途中入室したから最初の部分を聞いていないので最初からそういう話し方だったのかはわからないんだけど、実際のデザインうんぬんの話よりも、制作方法とか、それまでの気心とかの話が多かったように思う。  ロシアフォルマリズムの概念とバウハウスマニフェストを、日本の深層海洋水と川の流れのリズムをベースに混ぜ合わせた呼吸法をしながらアチョーって感じの印象を話からうけた。 「デザイン道」だった。 プレゼンの仕方は西洋的であった。 多分、シフトがそうなっているんだろう。 その無理していない言語の混ざり方に目標の高さを感じた。 魔法の一つの側面としての「デザイン道」か、「道」って進み方の伝統の上にのる「デザイン道」かってのが最近私がごにゃごにゃと考えていることだ。 アプローチの違いなだけなんだけど、それこそ目標を高く持っていないとどっちのアプローチをするかってことだけで十分につまづける問題だと思う。 どんどん混乱していくのでこのへんで。 話の内容がとてもよかったので、後でまともな文章にしてアップしたい。

「サタンタンゴ」というハンガリーの映画を大学でとあるゼミが主催で上映していた。 七時間半ひたすらに続く映画だ。 私は原研哉の講義に行ったので最後の三時間ぐらいしか見なかったんだけど、それでも疲れた。 なのに、全然見終わった気分にならなかった。 これは七時間半見ないと自分の中でも全く蹴りがつかない映画なのかもしれない。 それか、全部見てもわからない映画なのかもしれない。 しかし今のところ確かめる気はない。 映像は凄く豊で穏やかな実験性が沢山あった。 古き良き前衛を感じたんだけど、そういう古き良き前衛って今はどうやって評価すればいいの? 何カ所か自分の中で「パクろう」と決心させてくれるところがあった。 帰りにゼミの飲み会についていく。 そのゼミの先生は去年の終わりにちょろっとお世話になったりした人で、現代の妖精だ。 美しい人だ。 彼の頭の回路や物の考え方を私は喜んで享受した。 この手の美しい人って日本原産だよなーとうっとりする。 地味さも地味さ故のど派手さも、落ち着いた頭の良さも大変美しい。 ぜひ、自然に帰ってもらいたい。 彼をリサイクルしたらきっと世界はエコロジー。 私もこういう人になりたいと願う。 彼の要素よ私の中で育て! 先生に私が映画に抵抗感があるって話をしたら無視されて、「日本にいる間にこれを見てきなさい」と九時間続く中国映画の招待券をくれた。 映画に抵抗感がある私が九時間映画! 絶対途中で失神するわ。