横浜

横浜の芸術の発信地をねらっているような場所で行われた講演に行ってみた。 会場は良かったけれど、公園自体はアングラ臭および、学生運動、市民活動的などうしようもない先に進まない感じがぷんぷんしていた。 美術の話なのに、とてもウェットでただの言葉遊びみたいな話を永遠としていた。 成功しないための作戦がたくさん張り巡られた考え方だった。 多分、そこにいる本人たちは自分たちがどんどん本当にしたいことから離れていってしまっていることに気が付かないんだろう。 いやなものを見た。
最近わざと難しい方向に進み、成功しないことを目的としている人をよく見る。 大人になり、出来ることの幅も増えたことで、逆に自分から間引いていかないといけないからか。 とりあえず、暗く重い気分になった。 私はそういう話しを難しくすることで自分が発展していっているんだっていう、古くさい考え方は絶対いやだ。 
私の知っている人で何人かなんでも話を説教につなげる。 どんなに出だしがまともな会話でも、最後は説教で閉められる。 この説教たれていないと心地が悪い人種は美術関係に多いタイプなんじゃないかと思う。 私は日本の美術大学にいた二年間、ひたすらいつでもどこでも誰かに説教され続けた。 授業すらお説教だったりしたからたまらない。 少しでも私よりも自分は身分が高いと相手が思っていたら速攻お説教開始だ。 実際のところ説教を垂れ流していないと満たされた気持ちになれない人の方が問題あるっていう正常な考え方はそこでは機能しない。 殆どお互いのことをしらない私にでも説教を出来てしまうその神経は、見事に麻痺しているんだろう。 自分と他人の境界線はいったいどこら辺で引いているのか、そんなに不公平なことをして恥ずかしくないのか、こっちがいろいろと聞きたくなるけれども、気持ちよさそうにお説教をしている人を見ると私は、げんなりしてただ時間をやりながすことにしていた。 いつ説教をするか、いつ私の言った言葉のあげあしを取るか、そこに公平なルールは存在しない。 ほぼゲリラ戦だ。 ねっちりと暗くて重いですね。 そして卑怯だ。 説教を始めるやつを見ると自動的に「おまえは猿かよ」ってうんざりする。 
その横浜の講義では本当に、いろいろとうんざりした。 うん、なんかうらびれたどうしようもないものを見てしまった日曜日だった。