こっちの日曜日

映画祭の恩恵を受けようと早速二本見てきた。 
昼過ぎに、、夜にを見た。 

トニー滝谷は、画面の構成が凝っていて興味深かった。 あと、台詞まわしとか。 淡々とした映画だった。 台詞回しとか状況の構成とかが芝居がかっていて、なんだか良かった。 良い芝居を見た気分になった。 良い芝居ってか、良い評価を受ける芝居って言った方が良いかも。 「東京らしい評価されやすい表現」と私がぼんやり思っているものに近かった。 

wavelength 05はが集めたミュージックビデオをひたすら流す上映会で、日本でも去年やった様子。 日本でだとなのね、へー。 私が知っていたミュージシャンではBjorkThe Chemical BrothersBeckなどのビデオがあった。 ほかは全く分からなかった。 そのビデオの制作者に関してはもっと完璧に分からなかった。 でも、MTVとかで見覚えがあるのが多かった。(だから最初、なんで金払ってこれ見ているんだろうとどんよりしたりもした) テレビで見ると途方もなく魅力的に見えるビデオも、映画館で見るとそうでもなかった。 テレビで見るよりも、itunes music storeで見た方がいい感じに思えたりしますし、どの媒体を使ってみるかってのはでかいですね。 作品一連を見ていて、05と銘打っているだけありやはり雰囲気やなんかは一貫していた。 今更ゴーギャンじゃないけど、アウトラインをめちゃくちゃ使うか、いっさい使わないってことにより意外と現代性が出るようだ。 多分、平面でレイヤー使いまくっている感じで、コンピュータグラフィックス作っている途中の制作風景からこぼれ落ちてくるかっこよさを重視しているのが今っぽいビデオの大きな要素なんだろう。 中途半端に作っておくっていうのが大切なようだ。 予算の問題なのか、完璧に作り上げられたものに抵抗があるのか。 もはやクラフトマンシップの領域であるコンピューターグラフィックスの制作風景を斜め後ろからかいま見て、しびれるはにかみ屋の思春期の少年達のメンタリティーを保ち続けることがいけてるアート系のデジタル/グラフィックアーティストには必要なのかもしれない。 ビジュアルの中に出てくるアイコンたちは、道路にあるステンシルアート系が多くて、むちゃくちゃアナログなイメージのステンシル(厚紙と、カッターと缶スプレーが原料です)もすっげーデジダルアートと呼応し合っているんだってことが面白い。 確かに、壁ってコンピューターのスクリーンと同じようなもんだよね、見た目的には。  見た目で二つのメディアが呼応し合っていくって面白いじゃないか! 
ミュージックビデオのような若手のデザイナーの通過していくジャンルって面白い。 のわりには、そこに興味があって面白いねーって見ている人たちの幅がとても狭い気がする。 実験的とされている芝居とか舞台とか音楽とかだとみんな見に行くのに、ミュージックビデオとかに対して人々が素っ気ないのは(それか私の周りが素っ気ないだけか)やっぱりそれにじかに接している人間が、スケートボードとか夜遊びとか薬とかと近い関係を持ちすぎているからか? 前、日本の大学でダグエイケンの映像を授業で流した後先生が「クラックとかの影響が強いジャンルですよね」と小声で言っていて、「小声で言わなくても見た人全員気がついているよ」と思わず心の中で(弱気だ)つっこんでしまったけれども、なんかそこら辺関係あるんだろう。 とりあえず、なぜか今日は酒の種類と使っている薬の種類によってはっきりとおこる住み分けの現象を感じたのです。 薬物からの様々な文化への影響って少なからずあるんじゃないかと思うんだけど、私が想像しているよりないのかなんだか、あんまりまとまった話を聞かない。 なんなんだろう。