Macが帰ってきた

一週間の欠席期間の後、やっと私のmacが手元に戻ってきた。 
ないと不便だし、頭の半分が起動していない感じに思えるから怖い。
これで学校の課題を少しは家でも進められるようになるから楽になれる。 やっほい。

ファッションショーと、アフターパーティー

 友人の姉御さんのやっていらっしゃるバンドと、姉御さんのお友達が一緒にファッションショーをすることになったので遊びに行ってきた。 発表された服自体はとてもアマチュアチックで、まあ面白いと言えば面白いんだけどでも、別になんだかなって感じのやつらでした。 夜遊びの一環として行くファッションショーとしては楽しかったし、アフターパーティーには五つぐらいバンドが来ていて、それらのプレイも良かった。 お酒飲んで踊ってわくわくして、ちょっとキラキラとした瞬間とかがあって、一緒に遊びにいっている子のほっぺたとか、腕とか、踊っている時につなぐ手とか、そういう夜の帳があける瞬間にばちんと花を与えてくれた。 あと、もちろんショーの後に友達と服への評価を与え合うのかも良いし、そう、とりあえず夜のエンターテーメントとしては良かった。


 まず、一緒に行った友達の一人とショーについて話をした。 その子はすごく真剣にショーをとっていて、批評的だった。 そして批判的であった。 私はその頭の回転の早さに感動したし、言っていることも大げさだとは思ったけどごもっともとも思えた。 私は「夜遊びの一環」にそんなに真剣に批評を与えなくても(もっと日々本気にならなきゃいけないことって沢山あるだろよ)と思ったんだけど、でもどんな小さなことにもまじめに向き合うってのも一つの誠実さだよなと、自分と違うタイプの人にたいして思った。 

 じゃあ、私は不誠実かというというとそうでもないと思う。 私はできるだけコンセプトとそれを含めて何がしたかったのか、そして相手のおかれていた状況を理解しようとするし、それに何よりもとても楽しむ。 結果、素材として自分がなにをこの表現から学べるかなど考える。 その素材としてのイメージを言語化できた方が絶対に良いと思うので、すぐに批評的なことが言える言語に強い人には毎回若干のジェラスを感じるけど。 (っちぇ、頭がいいやつだなって、なりますね。)

 私は細かいディテールを読むことがあまりできない。 ディテールを読むことで、言語化しやするなるって面もあると思うので、訓練しようと思う。 友達としゃべっていて、自分の言葉へのレイジネスについて考えた。 大雑把な、自動的に使うような言葉ならば使うことはできるけど(使えなかったら日常に支障がくるしさ。)、創造的な言語や、詳細な話、また説明的な話に関して私の言語能力は壊滅的だ。 今だってファッションショーについて説明しようと思っても、どっかめんどくさくてしないわけだし。 

 もう一人の友達と感想を言い合っている時に彼が「アイデアとかはあったんだろうけど、繊細さに欠けてたよね」と言った。 短くまとめるとその通りだから、納得した。 

友達の姉御のバンド