新しい課題への心意気

なんとか、全ての教科で課題を出し終わり、一つの季節の終わりを感じております。

しかし、勿論新しい課題が出た。 

前回やる気がわかず、自分でも気持ちが悪かったので、今回は自分のやる気を途絶えさせないように、よくオーガナイズしようと思う。

やる気があった課題となかった課題の違いを考えた。

デザインスタジオでやる気があった課題は、担当の先生と週に二回、提出二週間前からは三回ミーティングがあった。 クラスでのミーティングでも週に一回は、全員でプレゼンをしていて、毎日着実に進んでいないと、何も発表できることがなくて哀しくなるから、がしがしやっているうちに夢中になっていた。 で、今回のやる気のなかった課題は、課題提出の一週間前にやっと一回だけ先生とミーティングがあって、クラスでの合同のプレゼンがあった。 そして先生に相談しても、「いい感じだから、そのまま行きなさい」としか言われない。 友人の作品で「これはどうなんだろう」と思っているのにも、先生が「いい感じだからそのまま行きなさい」と言っているのを聞くと、なんだか夢中度が減っていく。 

前の私の担当の先生が過保護だったのだ。 今回の先生はかなり放縦入っている。 なのに、採点の時にかなりシビアだ。(「あんた、ミーティングの時、そんな意見はおくびにも出さなかったじゃない!」ってことを平気で最終プレゼンで言ったりする)

今回も担当の先生が一緒なので、放っとかれることは目に見えている。 ミーティングの時もポール・オースターとか、村上春樹とか、お互いのコモンをかなり饒舌におしゃべりしておしまい。(だから担当教官と生徒というより、かなりお友達に近い。 「今度一緒に遊びに行こうよ!」と言われた時に、ああ、この人はもはや先生じゃないんだと思った。 やつの挨拶が「今何の本読んでるの? 英語の翻訳でてるやつ?」の時点で、気がつくべきだったんだ、先生は私個人の趣味に興味があるだけだと。)
なので今回は自分で細かく予定を組んでいくことにした。 ical大活躍。 同居人が壁に予定をブレインストーミングした紙を張っているのをみて、「ああ、予定すらブレインストーミングするべきなのね」と(もしかしたら当たり前のことに今更ながら)気がついた。

まず、基本の基本として、
英語で理解している部分と、日本語で理解している部分を、きちんと自分の中で翻訳し、情報を行き渡らせる。 課題のブリーフを一回ちゃんぽんでなく、両方の言語で考えてみる。 日本語で意識的な部分と英語で意識的な部分が違うから、人と話しているの時にかたっぽのことしか言わないことが多く、変なことになる。 いつも日本語で考えていて、日記だってこうやって日本語で書いているのに、課題のことだけ英語で考えて、英語でメモをのこしているから、日本語を使っている時は課題のことを考えないという時間の無駄が生まれるのだ。 うまく混ぜる。 これに限る。

コンピュータースタジオでのやる気は、先生との密な連絡の取り合いに限る。 先生が異常にテンションが高いおたくであろうとも、彼は多分課題に関して生徒が行っていること全てを知ろうとしている。 私は隠しすぎている。 私は「ああ、なんだかこの人と話すとものすごく疲れるから、この課題にふたをしよう」と思っていることが分かった。 いけねえ、いけねえ。