下半期

一年の折り返し地点が八月十五日だと思っているこてこてな日本人は私だけじゃないはずだ! 
ご先祖様も巡回を終わらせただろうし、クラゲだって出てきただろうさ。 後は正月を待つだけだ。

コンピューター

フリーハンドの技術的な知識を深める。 
シュピーカーマンについてリサーチをした。 彼は大変な人であった。 彼のことを知ることでなんだか世界が新しいページを開いたような感動をしてしまった。 フォントから始まる新しい世界だ。 とりあえず部屋を片付けてきれいな状況で課題を始めようと思いました。 
Adobe CSのパッケージのデザインとかもしたそうだ。 すごい。 毎日眺めています。 アイコン押しまくっています。 デザインの勉強を初めて良かったことの一つは、ファインアート関係の勉強をしていた時には知り得なかった人や、アイディアを知ることができることですな。 いちいち感動してしまう。
身だしなみを整えて、せめて人に恥ずかしくない清潔さの部屋で、タイポグラフィーについてリサーチし、彼の作品のアイディアを理解し、ポスターを作ろうとやる気がわいた。 とりあえず、今日はそこら辺で終了。

 明日はタイポグラフィーのについて調べよう。 今日授業中に基礎的なことを聞いた。 箸が転がっても感動する時期なので、モダニズム以降のフォントと、それ以前のフォントのファンダメンタルな違いを知り、「ああ!」となった。 すごい。 日本の文字にも歴史があるように、アルファベットにも歴史があり、日々変化していっているのだ。 

 前に、ひらがなを眺めながら、こんなに美しい形は滅多にないよなと思ったことがある。 江戸時代のひらがなや、昭和のひらがな、平成のひらがな、様々な時代の美意識や合理性を映し出している、生々しい歴史を見ているような気分になった。 こんなに美しいものに囲まれて生きていたのかとたまげた。 (土佐弁で言うと「たんまあー」) 
なぜか、高橋源一郎のさよならギャングたちを読んでいると漢字やひらがな、カタカナが美しく見える。 講談社が使っているフォントのせいなのか、それとも文学的なものなのかわからないけれども。 

それに比べて、私はアルファベットに感動したことがない。 それは彼らがあまりにも記号だからかもしれない。 アラビア文字のような装飾性も、漢字のようなピクトグラムの面白さも、ひらがなのような筆遣いの気持ちよさもない。 あと、理由は分からないけど、ギリシャ文字とロシア文字にもひかれるものがある。(ただエキゾチックだと思っているだけか?) 

それに音に直接繋がらない感じにも不慣れなんだよな。 ひらがなやカタカナのような、ピアノの鍵盤をたたいているような気分には読んでいてもならないから、いまいち魅力がつかめない。 モールス信号の表を見た時のような気分になる。 バイリンガルの子が、アルファベットは気楽で好きだと言っていた。 私は重苦しい日本の文字が好きだ。  しかし、アルファベットがかのように簡潔なのにも訳があるんだろう。 知ろうじゃないか。 そしてタイポグラフィーへの道を開こう。

きっとこれは私のアルファベット嫌いをなおす良い機会だ。 鉄っぽいし、禁欲的だし、有機的でないから、見ていてつまらないという今までの考え方から決別できるかもしれない。 タイポグラフィーというアプローチでアルファベットを考えたら好きになれるかもしれない。 アルファベットの美意識の探求を明日はするぞ。

デザインスタジオ

フォークランド諸島には電車が走っていないそうだ。 私のフォークランド諸島への興味は、3ぐらいから始まり、今のところまだ3(もしくは2)ぐらいにしかなっていない。 私の中にある旅行へのファンタジーはかなりくすぐられない。 

フォークランド諸島は、ペンギンが沢山いるそうだ。 あと羊も。 そして戦争の爪痕として地雷がいっぱい。 人間の重さが地雷にかかると爆発するから、人間が島の中をうろうろしていなく、しかしペンギンの重さでは爆発しないので、意外な結果としてペンギンのサンクチュアリになっているらしい。 どのウェブサイトをのぞいても、ペンギンの話ばっかりのっている。 ペンギン好きにはたまらない場所なんだろう。 

しかし、この興味のひかれなさっぷりから、きっと私の持っている旅行へのファンタジーが明確になる。 そしてそれを理解し、なおかつ、フォークランド諸島的な場所が好きな人の気持ちも理解できるようになり、走っていない鉄道をなんだかの方法でコミットさせればこの課題はうまくいくのではないか。 

とりあえず、ナショナルジオフラフィックスを読んで、ペンギンが好きそうな人達の心境を理解しよう。

後、どんな雑誌にのせる広告を作るかも早く決めなきゃいけない。 

旅行にたまらないファンタジーを感じている人は周りに結構いるし、自分もなんだかんだ言って、かなりある方だと思う。 しかし、バックパッカーっぽいことには最近何も感じなくなってきた。 演歌っぽくって嫌だ。 ファンタジーとウェットは切り離しても良いはずだ。 エコツーリズムとか面白いかもなと、雑誌でその手の記事を読むと思う。 そういうドライな、辛口な、すっきりとした、旅行の広告も良いかもしれない。 JRのポスターのような、ウェットな感情にスマッシュヒットするような旅情緒あふれたのじゃなくて、冒険でも何でもない、ただ違う場所に行って、違うものを見てって感じの…、うーん、わからん。 人情、袖ふれあうも多生の縁系の旅行者がペンギンと、地雷のリスクを通り越して袖ふれあわすのも面白そうだしな。 ああ、分からない。