父と息子

アレクサンドル・ソクーロフのThe father and sonを見た。 多分邦題は「ファザー、サン」。 (点の位置とかから、結構最悪に近い邦題だと思う。) 映画自体は大変興味深かった。 見ながら「こんな事はニュージーランド人はしない」「日本人もしない」などと混乱した。 俳優の演技がうまいのかへたなのかすら分からなかった。 そしてこの映画に映し出されている人々が、難しい意味でなく、普通なのかそうでないのかも分からなかった。 私は父でないし、息子でもないし、ロシア人でもないので、「ある、ある」って共感できる面はほとんどありませんでした。 結構、様々なギャップに驚いた。 ただ、演技の上手下手、リアリスティックであるかとか共感できるかとかは、今更別にディールするべき事ではないような気がするので、今は少し横においておこうと思った。 この通常映画に鑑賞者を引き込むために必要とされている物事を横におく時に、なんだかの喜びがありますね。 寓話性の強い作品でこそなせることだ。 映像の美しさやら、様々な事をひっくるめて、「何か」を伝えるために映画が構成されているのだと感じさせるところとか興味深い方法でした。 面白く見る事ができた。 寓話性が強い作品にありがちな「さあ、この親子の関係は何を表しているのか君は考えなきゃいけないよ?」と質問を押し付けられている感じを私はあまり感じず、作品が作り手と鑑賞者の真ん中に横たえられている、控えめなコミュニュケーション手段であるように思えて、好感を持った。 じゃあ、その何って何と考えると、「アクロバティック」って言葉が当てはまるような気がする。 「スリル」の変換とか。 crucified loveに添えられたアクロバティックな面とかなんか凄い面白い。


役者の顔の美しさに、「私はもしかしたらこの顔が見続けたくて映画を見てるのかもしれない」と鑑賞している間に数回思った。 まあ、だったら何だなんだけどね、とりあえずものすごく美しい人間が数人出てくるという事をお伝えしたくて。 あと、瞬間瞬間に「もしこの映画が父と息子の関係の醍醐味を普遍性を追い求めながら伝えているのだとしたら、私は男兄弟と父親にいつも囲まれて暮らしてきた割に、何も全く一ミリもそこら辺理解していなかったって事だわ」と恐れおののいた。 でもうっすらと「兄と父の間には、私との対なる、それゆえに知る事はない何かがあるわ」とは幼き日から思ってはいたんだよね。


この映画の同性愛的な雰囲気を親子で醸し出しているシーンなどを見ると、そういったシーンを使う事でこの映画が表現したい事がそれではないと言う事を表現しているのだろうとかって思える。 必要以上に疑わせないために全て出すのだという、公平な描写に見えてくるんだけど、それは映画には何かを表現しようとしているという私の強い思い込みから生まれる変なトリックなのか。 落ち着いて考えたいところだ。 とりあえず、「プロット」って考え方から少し離れた構成でできている映画だと思った。

あと、映画の最初ら辺の息子の行動を見ていて、普通に見える奴がとんでもない事を言ったりする世界の深みみたいなと同調し私の周りの変な人達や自分の不気味なところとかを含めた奇妙さを改めて感じ、なんだか暖かい気持ちになった。



私の中の隠れたカリスマである西周平さんのに載っていたが面白かった。



ふとしたきっかけで十年ぶりぐらいにダウンタウンのコント「アホアホマン」を見た。 坂本龍一もアホアホブラザーとして出ていた。 コレはこっちにいる「かっこいい坂本龍一」が好きな人達に見せなくてはいけないと使命感を感じた。