週末と豆乳と夢

 週末は本当に親しい人(ちゃんと夢に出てくるような人達)と過ごすに限る。 そんなに仲が良いわけでもない人達と遊んで、危うく負け犬に尻を噛まれるところだった。 飼い犬に噛まれるならともかく、負け犬になんて噛まれてたまるか。 すぐ人に噛み付こうとするってどうかと思いますよ。 自分が人に噛み付く事を趣味としていると自覚している人は、もしかしたら自分が負け犬なのかもしれないと疑ってみてください! 自分が気持ち悪い人間じゃないか、陰の気を漂わせていないか、一回は考えてみた方が良い、絶対。

 知り合いで人の夢によく出る人がいる。 彼は「昨日君の夢を見たよ」と一日に何人もの人に言われている。 なんだかうらやましい気がする。 私が人の夢に出る事って多分滅多にない。 少なくとも人生で一、二回しか言われた事がないと思う。 私の夢には大抵出てくる人が決まっている。 勿論その男の子もたまに出てくるけど、これは私の深層心理がうんぬんより多分彼の才能なんだろう。 不思議だ。 特技が人の夢に出る事って凄くない? 実際自分の中で喜びの象徴っぽく彼が出てきちゃったりするから、なんだかとってもうらやましいわ。 鍵は一緒にいるとなんだか嬉しい気持ちになる人になる事なのかしら? そういえば私の夢に出てくる人は大抵「一緒にいると理由もなく嬉しい気持ちになる人」ばかりだ。 特に関係が深いか深くないかは関係なく、喜び系の人間が夢に出てくる。 

 最近豆乳がおいしくてたまらない。 人生で一番最初に豆乳を飲んだ日の事は覚えている。 何歳だったかは思い出せないんだけど、昔の家の台所で母が渡してくれたグラスから飲んだ。 こんなにまずいものがこの世にあったのかと驚愕したほどにその時はまずいと感じた。 まるで豆腐を飲んでいるようで気持ちが悪かった。 その時は私の中で豆腐の味の物は豆腐でなければいけなかった。 そして豆腐は絹ごしより絶対木綿と心に決めていた。 近頃少し考え方が変わってきて、豆腐の味の液体を飲んでも、間違えているとは思わずに、なんてお手軽と思えるようになってきた。 絹ごし豆腐も珍しい食感がして楽しいと思えるようになってきた。 いや、正直に言おう。 昔の自分には申し訳ないけど、私は豆乳からかなり濃厚な喜びを得ているんです。 豆腐を飲んでいる感じで好きとかじゃなくて、豆乳が好きだ。 もう、「豆乳は豆腐の味」じゃなくて、「豆腐は豆乳の味」。 なんだかとっても美味しいんです。 文字通りに美しい味だと感じるんです。 植物の爽やかな何かを感じます。 体も心も凄く満たされるのよね。 
 まともに考えるとだね、牛の乳を飲む方がプロセスはまともなんだよ。 だって、牛の乳は子牛が飲むようにおっぱいから出てきている液体で、それを私が飲む事は生き物の種類を超えたなんだか素敵な事に思えるじゃない。 生きとし生けるものがお母さんみたいな気持ちになってハイジの服を着て、陽気に丘を駆け巡りたくなるでしょ? でも豆乳って大豆をしぼった液体で、それに豆って種子だから、どこからともなく悪徳を行っているような気持ちが湧いてくる。 私は私の乳を飲ませてくれと牛がやってきたら、分け与えますとも! しかし「卵子をおくれよ。 飲ませてくれよ」と言われたら、マジっすかとびびるだろうさ。 それでもね、それでもね、豆乳は凄く美味しい! 完璧な味に近いと思う。 素晴らしい芸術作品を見た後のようなこの気持ちの満たされっぷり。 豆乳はスーパーにおかれている一番芸術的な商品だとすら思うのよ。 原始的であるとか、近代的であるとか、現代的であるとか、そういうのを超えて、いつでも一番新鮮で味わい深いものな気がするのよね。 なんだか飲むと深く満たされる。 豆乳は本当に素晴らしい。