コード

 今更だけど、ダ・ヴィンチ・コードを読みました。 ちゃっかりと面白がって、二日で読み終わっちゃった。 ゴシップを知る喜びとかと近かった。 ネタバレになっちゃうからあんまり内容は書けないけど、でも別にダヴィンチの作品なんかをイラストレーションとして出さなくても、現代美術の作品は十分、この本が書いている内容の事以上の問題にラディカルに向き合っている。 ダ・ヴィンチ・コード読んで面白いと思った人は、現代の美術にもどんな意味があって何に挑戦をしているんだろうと自分から積極的に想像してみてもらいたい。 絶対に楽しいから。 過去の出来事から発生した問題を特鍵は確かに過去にあるのかもしれないけど、ドアは今にしかない。 現代美術をもっとチェックチェック!


 最近ちょっと情緒不安定な感じで、自分でもどんなもんだろうと悩んでた。 単純な引き金になったのは親に言われた「どうして君はそんなに将来を不安がるんだ」の一言で、馬鹿正直な私はその「どうして」の部分を考えたから。 考えて行くうちに乗り越えられなかったこととか思い出して、「きっと私の問題はこのせいだ! トラウマ! インナーチャイルド!」みたいな、坂を転がる状態になってしまったりした。 最近はネットの普及のお陰で、少しでも自分に疑いを持つと簡単に「ああ、私○○シンドロームで、なおかつどうやら○○病なんだわ!」とかってなれるから便利よね…。 ライ麦畑でつかまえてで一番ジーンとくるシーンは、主人公が一人で自分が癌だと思い込むところです。 爆笑しながら涙が出ちゃうよ。 anyway,そうしていくうちに、色々と問題の多い自分の子ども時代とかを思い出し、「ああああああ、もう駄目だ! 過去に殺される!」となる。 ものの見事に5分ぐらいで!
 ほとんど一人ダ・ヴィンチ・コード。 自分の陰謀に自分で巻き込まれ、自分に追われ、自分で探偵な、意味不明なサイクルへの突入。 結構得意で日々行います。

 とにかくグッバイ、マイライフな気分になり、これはコンフェッションをしない事には進まないと、友人にメールを書こうとしてみた。 そして出だしがから異常に暗いメールになってしまった。ほとんど、生まれてきてすみませんぐらいの勢いのメールになってしまい、メールのタイトルは「不幸の手紙」にするしかないのかもしれないと思いました。 


 でも結構以外な事に、出だし数行を書いた後に、「このメールを相手が読んで、これで私を暗い女だと思ったり、また何をいまさらと思われたりするのは余計に破滅だ」と気がついた。 これは私からすると凄い転機で、なかなかに奇跡的な回答だった。 だって、大抵こういう数時間の自己嫌悪から生まれた思いつきの行動から、泥沼ローリングストーンが始まるから。 ささいな事だけどこれに気がついたのは良かった。 そして何よりも自分が嬉しく思ったことは、その友人と過ごしていた時間や、お互いの持っている感情を尊重しようと思えたことだ。 まさか自分がそんなものの考え方をするとは思わなかった。 私の過ごしてきた時間には破滅的でギャンブラーな一面があるが、同時にまともで結構ナイスな面もあるんだと思えて良かった。 自分がある程度愛情を注いでいる人間が突然不幸の手紙を送ってきたら、「私の愛って一体?」ってなるだろうと思い、気を使ったんです、私。 そう、私はその人に愛されているだろうというふうに信じることにしたんだ。 もしかしたらそれよりなにより私がその人をものすごく好きで、自分たちの関係の価値以上にこの不幸の手紙には意味がないと思えたからかもしれない。 


 ヒーリングや、救済は実生活の中に溢れているんだろう。 忘れないようにしなくては。 自分が一回でも誠実なことをしたことがあるという記憶や、自信や、人を愛おしくなる気持ちは簡単に忘れることが出来てしまう分、努力して覚えておかなきゃなと思う。 誠実さって、記憶することなのかもしれない。 そう思うと、昔読んだ本の意味わかんねえと思った部分の数カ所とかが結構筋が通る(気がしなくもない)。 とりあえず、良いことは忘れやすいからきちんと覚えておかないと、不幸の手紙とか書きたくなっちゃうよね。