大股びらき

 友達のMacに貼ってあるポストイットに「大股びらき」「エロティシズム」「おかしな家族」って書いてある…。 こういうメモをみたときに感じる、新しい側面みたいなのから、自分は相手のことをあんまり何もしらないんだろうなと思う。 私が知っている世界なんてちっぽけなもんさー。 

 知人が私の紹介文としてコミュニティサイトとかに載せる文章だって、見るとあたしってこんな人なのねとちょっと驚く。 人が冒険に出たりとか、探検にでたりする理由がわかる気がする。 世の中想定外の事ばかりだ。(だから行く場所は決して宇宙とかだけじゃなくて、ごにょごにょごにょ)

まず、
『S U P E RRR Anko czyli slodka Anusia!!! Uwielbiam Cie, podziwiam Twoja ciekawosc swiata i otwartosc...Masz niesamowity dar zjednywania sobie przyjaciol, a kazdy jest z innej bajki. dzieki Tobie nauczylam sie co to znaczy のんびり spedzac czas!!! i zawsze mozna liczyc na Twoja pomoc WIELKIE DOZGONNE DZIEKI. mialam szczescie ze Ciebie poznalam B U Z i A K i 』
 読めない。 そう、私は私の理解できない言語の中でも紹介できてしまう存在なんです。 あたしって誰? これは外国に行ったりするとわりと簡単に陥るアイデンティティークライシスですね。  のんびりという単語だけ日本語なのが、なんか海外で見る日本からのお土産のある風景って感じでなんかいい感じです。

お次ぎに、
『彼女は、ディオです。

「ズキュウウゥン!ギャアン!バリバリバリバリ!!」「初めての相手はジョジョではない。このディオだッ!!」おれたちに出来ないことを平然とやってのける。そこにしびれる憧れるゥ!
と言いたいところですが、実際人間やめちゃってるから怖いもんです。アタシァ人間を辞めるぞジョジョ〜ッ!!

ひとたび怒らせるとそれこそ子々孫々の代に至るまで追っかけてきそうなので、形而上学的な意味合いにおいて永遠に棺の中に閉じ込めておくことにします。

あ、鍵は内側にあんのか…。』
 そうか、私は漫画のキャラクターだったのか、しかも人間をやめているとおもわれているのかと新鮮で、「はじめまして、私」って感じで良い。

もう一つオマケに
『僕、この人のこと「変だなあ」と思っていました。が、もっと驚くべきことに、彼女も僕のことを「変だなあ」と思っているようです。これは奇遇ですね。きっと気が合うかもしれません。ただし、もしこの奇遇さに便乗して僕たちが付き合ってしまえば、お互いに愛を確かめ合う言葉は「愛してる」ではなく「あたしのこと変だと思ってる?」「ああ、思ってるよ」というやりとりになってしまうわけで、そんな関係が長続きするとは思えません。せっかくある意味「両思い」なのに、恋人になれないなんて、僕はとても残念です。』
 変だと思われていたのか! なおかつ私が相手を変だと思っていることもばれていたのかとただただ驚くばかりです。 

 友達は自分の鏡だとか言うけど、乱反射しまくっている鏡でオプティカルすぎて私には何がなんだかわからないよ。 


 ああ、横で友人がハングル語の書いてある本を読んでいる。 私はその本の内容は翻訳されたりしたら若干知ることができるかもしれないけど、原書の音読されるリズムなんかは一生自分の脳の中に響かせることはできないんだろう。 日本語で書かれたポストイットの内容の不思議さを不思議だと思うことはできても、ハングルで書かれたメモの内容はわからない。 (「!」とか「。」だけが目に留まり、何となく雰囲気だけが伝わってくる。)
 もしかしたらすっごいことが書いてあるのかもしれないと思えてくる。 お酒を呑んだことがなかった頃に想像したお酒の味のような感じだ。(私はお酒の味を知ったときに自分の想像していることはたいてい間違えていると知った。 もっとユートピアのような救済の味で、すべての美味しさが凝縮されたもんだとおもっていたのに!)
 自分と違う言語を話す人間の頭に溢れる音を想像すると気が遠くなりまする。