むかつかれる

 友達が自分の夢を題材にした短編映画を撮ると言い始めた。 そういったイベントは日常を楽しくするので、どうぞがんがんやってくださいと私も陰ながら応援するつもりだったんだけど、その夢に出てきていたのは私だったらしく、私も出る事になった。 

「凄く短気なアジア人女性が夢に出てきた」と言われた時から、あんまり良い役回りじゃないだろうなと思いつつ、どうせ凄く脇役だろうから良いやと思っていたんだけど、脚本を読んだら準主役だった。
 
登場人物は、彼と妻(私)と子供で、
家のコンロが壊れて、私が切れて、
一日かけて彼が直すんだけど、
そしてがんばってゆで卵を作るんだけど、
私がゆで卵なんて食べたかないのよ!とそれを投げ捨てて、
切れた彼が妻を殺す話しであります。
それだけ。 ただ、それだけの話しさ。

朝起きた時に愛情表現がしたいのに、私は一人で起きていて
「コンロが壊れているから直せ」という時点で
彼はだんだん切れ始める。
そして直している最中に私はせかし続ける。
なんでこんなに一方通行なんでしょうかね。

話の中では始終私がむかつく事を言い続けていた。
そして意外と彼が男らしかった。
細くて、なんだかフェミニンな彼が自分役に選んだ人は
むちゃくちゃ太っている私たちの共通の友達で、
多分彼に私が殺されるシーンは普通に面白いだろう。
ベットでもみくちゃに殺されるらしい。
私を殺すシーンは白熱で罵倒の連呼で、
私は「あー、やめてー」みたいな結構受け身に殺されていた。


この夢でのあんたの役回りはきっと女の嫌な面全てを体現しているんだよねとけろっと言われた。
そして「演技する必要ないから、いつものままで」と言われた。
私って殺したいほどにむかつく女なんだなーと自分で何となく軽く納得。 
それにしても一旦妻にして、子供も生ませて、なおかつ殺すって凄いプロセスだよ。
あんた案外とマゾっけたっぷりじゃないかねとまた言ったら相手をむかつかせる事が頭に浮かんだ。


その脚本の発表がおとといの彼のお誕生日会でされて
私はむっちゃ満足げな彼に
「全ての女の代表だよ」と言われて
軽く切れたね。 


私が人をむかつかせやすい性格な事は重々承知していたけど
まさか殺したいほどにむかつかれていたとは!
そこまでむかつかせていたんだったらごめんなさいと謙虚に思ってみた。
でもこの謙虚さもむかつかせるんだろうな。
相手に対して悪いと思っているってよりは、
もっと開き直りとかから生まれる
謙虚さだからね。



なんか面白い気持ちになっているんだけど、
勿論いろいろと引っかかる"べきである"と思っている箇所はあります。


1. そんなに自分が悪役な事に喜んで加担するべきでない
2. 縁起が悪い
3. これ以上思いつかない


まあ、自尊心の問題ですよね。
こういう自虐っぽい感じのある事はするべきじゃないとは思う。
「私がむかつく女ってなによ! むかつく奴はお前でしょう?!」と言いながら
殴りかかりたいような気もする。
でもなんかふつふつと面白いんだよなー。 どうしよう。
どうしようって言っても、脚本を読んでいる時に大笑いしちゃったから
自尊心の問題は既に違う方向に進んでいるんだけどさ。

私は多分コンロが壊れたら実際問題自分で喜びと好奇心とともに直すだろうし、
彼は私が三日三晩泣きながら足下にひれ伏して結婚してくれって頼んでも結婚はしないだろうし、
(そんな泣きながら結婚を迫ってくる女は最初から駄目か)
お互いの間に子供ができることも、
ましてや私が彼に殺される事もないとないと思うし、
彼役の子がすっごい太っている人ってのもうけるし、
この凄くつまらない脚本もつまらなすぎて面白いし(内輪ウケだ)
なんか全体的に面白いオーラが出ている。
アホに面白く作ったらコントだけど、まじめに面白く作ったら、
少しの友人の間にはまじめにおもしろいと思ってもらえるのではないだろうか。


やってくれるよね、出てくれるよねって話しをしている時に彼のお気に入りの90年代初期のポップスが流れていて、なおかつ凄く変な踊りを一緒に踊る事を強制された時点で、私は彼が面白い。 自分がむかつくやつだと思われているって事よりも相手が面白いか面白くないかの方が重要な気がする。 いつもがちがちのフェミニストジェンダーやらセックスの事ばかり考えている彼の夢がこんなのもうける。


でも「モノクロが良いんだ!」と言われた時は引いたね。
原色だろう! この手の映像は原色であるべきだと強く私は思います。


私もすべてのむかつく男性性の象徴としてとある友人が出てきた事があり、それ以来気持ちが悪くてその子とは関係を断ったんだが、映画にしようとか夢に出てきた人とそれ以降も遊ぶとかは思い浮かばなかったな。 すごい、体力と根性だと思う。


そしてこの短編映画を撮ったら、かろうじてあると思われる友情が
春の夜の夢のごとく消え去るであろうと予感します。
ペドロ・アルモドバルの映画の底辺にあるのは積極的な楽観性を伴った愛だ、そしてラリー・クラークの映画は激しく笑えるし、ユーモラスだという面が本当に大切なんだという意見があう数少ない友人なんですが、(ペドロ・アルモドバルのところは誰でも同意してくれるけど、私はこれがクラークへの意見とコンビネーションになっていないと嫌なんです)結構その「この人を失ったら、ある意味孤独になる!」っていう寂しさをこえて、今着実に孤独になるカウントダウンをしている自分がいるあたり、やっぱり私はねちっこく「私がむかつくってどういう事よ?! お前の方がむかつくって!」と怒りを抱いているのかもしれません。 すっきりと割り切れる話しじゃないですね。 面白いけど。